短編「無言のさようなら」
https://kakuyomu.jp/works/16817330658322994940クロノヒョウ様のお題企画に参加したくて、いろんなお題の中からうーむと考えだしました。
公開も完結も目途のたっていない長編【「死ねなかった」きみたちへ】という作品の、種のような作品となります。
長編の方はタイトルのとおり、自殺未遂をして命をとりとめた子たちを描く物語。内容が内容だけにまったく筆が進まなくて止まっていて、公開前にエタってしまいそうなお話。
作品を書く時、登場人物にはかならず最後には救われてほしいと思って書くんですけど。このお話の登場人物にとっての「救い」って何なんだろう、と思うと、どう帰着するべきなのかわからなくて。
「種」だけでも投下できて、よかった。
この短編の主人公ほど極端ではありませんが、わたしも高校生までは似たような感覚に陥ることがときどきありました。「あぁ、輪に入れないなぁ」みたいな。
今思えば、逆もあったんだろうな。わたしが誰かに対して線引きをして、その子が入って来れないような空間を作っちゃったり。
だれも悪くない。
懸命に生きるために、心地良い相手を選び、心地良い空間をつくるのは当たり前のこと。
ただ、そこに加われない経験が、自尊心をじりじり削ってくるんです。
いまでも時々感じることはあるけど、気にしないって思えるのは、揺るがない友達や家族がいるからだろうと思います。
あと、わたしは人に関する記憶力が良い方で。
リアルでもSNSでも、関わった相手のことは大体覚えています。それなのに相手には覚えられてない、みたいなことがほんとよくある。
単なる切ない経験なんですが、重なると「そんなに存在感ないのかぁ」と寂しくなるのです。切ない。
そういうとき、ちょっとネガティブ思考になってる時なんかは、「わたしはこの人の人生に足跡すら残せなかったんだろうな」と思うのです。
一生懸命レビューも感想も残してTwitterで宣伝までしたのに、「はじめまして!読んでください!」って言われるとかね。笑
いや、いいんですよ別に。そんなことをくよくよ気にしたりは全然しません。笑
話が逸れました。
ともかくこれは、ひとつの「種」のお話です。
どんなに支えてくれる人がいても、その相手を信頼していたとしても、死を選んでしまうことはあると思います。
死のうと思った人の気持ちなんて、その人にしかわからないんです。もしかしたら、その人にもわかっていないかもしれない。
わたしが思うのは、どうか、生きていてほしいと、それだけです。