人生二回目のコロナウイルス罹患により
「え、マジで? 職場には申し訳ないけど……この休み期間で積み上げていたアレもコレも消化できるやん!?」
とか思ったのも束の間、あまりの病魔の苦しみにここ五日間ほどうめき声を出して伏せっていただけの久保良文です。
どうして最初の最初だけは軽症状だったんでしょうねぇ……
コロナウイルス「咳と鼻水だけと言ったな? あれは嘘だ」
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しかしコロナに罹患するたびに思い出しますけど、病気って本当に苦しいもんでしたね……
大人になってからは風邪は『熱っぽい? んなもん体調不良に含まれん。解熱剤飲んで出勤したらぁ!』みたいなテンションで乗り切ってたことが多かったので(良い子のみなさんはマネしないように。今それをやると普通に怒られますw)忘れていた感覚であります。
そして思ったことは、人間とは本当に『喉元過ぎれば熱さを忘れ』てしまう生き物なんだなー……と。
とある自戒を思い出させられました。
それは高熱にウナされながら『ああ……私、今まで小説の中で【不治の病が全快してハッピーエンド】とかを気軽に利用してたけど……ちょっと趣向を改めよう』と。
やっぱり『病気の苦しみ』って【エンターテイメント】として消費していいか、考えさせられる題材じゃありませんか?
いえ、色々と考えた結果『使ってもよい』と自己判定しているのでアーダコーダと語るつもりはありませんが、それでも「取り扱いには気をつけよう」とは思わされます。
小説で安易に描けないんですよね『病気の症状』って。
「ごほっごほっ……胸が苦し──
ここまで書いた瞬間に『あ、これ私……適当に文章考えてるな……まったく真摯じゃない』と我に返ってしまうんです。
なんといいますかね……当事者の気持ちを慮ると適当には書けない箇所よなぁ……って感じです。そしてそれは物語の中で『戦争』を描くときにも同様の気持ちを覚えます。
確か、私の祖父の話だったような気がするのですが(ウロ覚え)、祖父は頑なに『戦争』に関する題材の物語は見なかったそうです。それがどんなメッセージ性を持っていようとも。
その心情については推しはかるしかできないでしょうし、何が良くて何がダメだったのかは分かりません。ただ、私が気をつけるべきことは、たとえどんなに感動的な物語を読もうとも『これがリアルなんだな……』という感想を持たないようにすることだけだろうと思います。
物語は物語であり、エンターテイメントはエンターテイメント。決してそれを現実と混同しないようにしたいと思います。
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さて頭痛に苦しみながら書いていたものだから(熱は下がった)どんなふうに話が落着したのか、自身でトンと判断ができませんが、そろそろ執筆を再開していこうかなと思っております。
と言っても、久方ぶりにカクヨムを開いただけでありますので、ぼちぼちコメント返しから行っていきましょうかね〜。
フシブシが……フシブシが痛い……