カクヨムという世界で、こっそりとしっかりと埋もれて書き続けようと思っている。
若者言葉は駆使できず、続きが読みたくなる衝撃の展開も思いつかない。
私が目指すのは、年々、乏しくなる感覚をほんの少し思い出させる文章だ。自分自身が読みたいのも、そういうものだからだ。
沖縄旅行をしたとしよう。
十代の私は、ヤシの木くらいでは驚かないが、パパイヤとバナナに目を丸くする。普通に庭にあるけど、とキョトンとしながら話す沖縄の人に爆笑してしまう。
二十代の私は、パパイヤとバナナの映える撮り方を考える。下から撮ってちょいサンセット。ヤシの木よりありきたりじゃなく、良くない?
三十代の私は、パパイヤの調理法を聞きバナナの収穫時が気になる。
四十代の私は、「ほらあれが」と子どもたちに自然学習させようとする。
五十代以降は。まだそのステージが来ていないので未知である。
初めてのイタリアなら。
スタイルの良い美男美女にときめき、金髪にウインクされドギマギする。土産物屋のおじいちゃんが可愛くてぼったくられても幸せしかない。ピザやパスタは食べなれた日本の方が正直ウマいけど、ジェラートの美味しさに「日本で店やっちゃう?」と親友と盛り上がる。
往復の機内でさえドラマだらけ、全てのレストランで「ペーパーナプキンかわいすぎ」と謎の収集を始める。
何が言いたいかというと、「全部楽しい」てことだ。
もっとうんと大人になって初イタリアなら、そりゃ違う楽しさはあるけども。キラキラフィルターは錆びていく。
文章を書くのも読むのも楽しいのは、心が動くから。
心がさほど波風立たない大人になって、ストレスのない波風が欲しくなる。
「そういえば」と思い出したい感覚がある。
鈍くなった新陳代謝を多少は活性化させたら、大人にしか表現できない文章が書けるかもと心ひそかに願っている。