• エッセイ・ノンフィクション
  • 恋愛

木下望太郎さんへの質問

木下さん、

今回は、「カクヨム作家さんに聞いてみた」にご協力いただき大変ありがとうございます。
お待たせしておりました質問をまとめましたので、下記を御覧ください。

ただ……、まだ途中なんです。というのは、木下さんへの質問は対話形式にしたいなと思っています。多分、頂いた回答に聞きたいことがたくさんあると思うので……。

今のところ Q11 まであります。Q12 は「ハザマダ ブンガク」について伺って、今後の作品の予定と読者の皆さん向けメッセージも併せて伺う予定です。その他は、特定の作品というより、木下さんの作品の傾向みたいなことをお聞きしたいと思っていますが、頂いた回答への質問に交えて伺わさせていただければ幸いです。
「ハザマダ ブンガク」を読み直してから Q12 を投稿しますので、ひとまずは Q11 までを回答いただけますでしょうか。細切れで申し訳ありません。

* * * * *

Q1:
私は木下さんのペンネーム(木下望太郎)が気に入っています。木の下で、景色を眺めているのか、何かを待っているのか……。なんとなく、風景が浮かぶ感じが好きです。その由来を教えてください。


Q2:
木下さんは、カクヨムだけでなく他の小説サイトにも二次創作物を投稿していらして、それも入れるとかなりの執筆数になると思います。小説はいつ書いていらっしゃるんでしょうか? 
それに、あれだけ色々書くにはスピードも早いってことですよね? 普段、どれくらいの速度で書いてらっしゃるんでしょうか。


Q3:
話作りの過程を教えて下さい。以前に「プロットを作って、そのプロットを越えないようではダメだ!」のようなことをおっしゃっていたのですが、ということはプロットをかなり作り込まれてから、書き始めるということですよね。普段はどんな手順でお話を作っていらっしゃるんでしょうか。


Q4:
木下さんの文章はとても正確ですよね。誤字脱字が無くて(一年半読み続けて、誤字が一回だけでした)、言い回しも的確。伏線もちゃんと回収されていて、「あれ? これどうなったんだ?」って思うことがないです。と、同時に文章のリズムにとてもこだわっていらっしゃる。倒置法とか、文を途中で切ったりして、文章に遊び心があります。
執筆でこだわっていること、気にかけていることがあれば教えて下さい。


Q5:
書いている媒体 (PC やケータイなど) は何を使っていますか? できればソフトウェアも教えて下さい。そして、どうやっていろんなサイトを更新してるのかも……。


Q6:
基本に戻りますが、小説はいつ頃書き始めましたか? なにかきっかけはありましたか?


Q7:
ご自身で好きな、または影響を受けた作家さん(アマチュア、プロを問わず複数可)がいれば教えて下さい。また、好きな作品も教えて下さい。(この回答長そうですね!)


Q8:
創作活動で目指していることはありますか?


Q9:
作品について質問させてください。
まずは「斬壺」についてお聞きします。これは木下さんの文学系の代表作だと思います。
「斬壺」の良いところは、文章がとても美しい。登場人物の立ち居振る舞いも、言葉遣いもきりっとしています。そして、剣を使う身体の動きや刀筋が詳細に描写されています。あと、天才とそうでない人の対比がうまい。
「わしにしてみりゃ全然分からん。太刀行きにしろ脚にしろ、何で皆そんなにのろいか。そののんびりした太刀を、何で、さっとかわせんのか。そんで何で、さっさと斬らんか。何で出来んのかが分からん」
これは本当に天才の台詞だなあ、と思います。でも、その天才がはっとする出来事があって、弟子入りする終わりもいい。そして剛佐が幾度か為し得た「斬壺」を、剛四郎は晩年に一度しか為し得なかった、という下りが、天才とは何なのかと考えさせられます。
「斬壺」を書いたきっかけと、剣での戦いを描くこだわりを教えて下さい。


Q10:
次に、現代小説の「そして僕らは殺意を抱く」についてお聞きします。
これは、社会に受け入れられない二人の主人公の感情がすごくリアルに迫ってきて、自分をばかにする人を殺してやりたいと思う気持ち、それを実行に移そうとする勢いがとても自然に理解できる。いつしかその殺意が互いに向いて殺し合いになるけれど、その剥き出しの感情のぶつかり合いが深い理解に繋がっていく。名作だな、と思ってるんですよ。(って言いながら、星もレビューもしてないことに気が付いてしまいました。読んだときに、すごい名作だと思ったんですけど、問題作だとも思っていて、星がいっぱい付いて目立って削除されたりしたら嫌だなって、敢えて星を付けなかったんです。でも、今、星が付いてても残ってるんで大丈夫ですね。レビューします!)
このお話も書くに至った経緯、この作品で意図したことなどあれば教えて下さい。


Q11:
次は、言わずと知れた(?)「かもす仏議の四天王」。
これは、コメディ……って言っていいんですよね(今確認しました)。でも、ギャグじゃないそうですね。私はレビューに「ギャグ」って書いてしまって反省してます。
この話は設定がとても面白いです。仏だけど良い仏ではなくて、怪仏。人の業に結縁して具現化する。閻魔天とか暗黒天とかが出て来て、その怪仏を操る黒幕を追う百見や崇春と戦う……。仏教好きだとおっしゃっていましたが、怪仏とか怪仏同士が戦うとかいう発想はいったいどこから生まれてきたのでしょうか。


まずはここまでよろしくお願いいたします。

34件のコメント

  • Q12:
    「空白の島と、ハザマダ ブンガク」についてお聞きします。
    (質問より語ってる部分のが長いんですが、ご容赦ください)
    これは不思議なお話ですよね。別れた彼、恭平の死を知って、彼の故郷の島を訪ねた玖美の前に突然、現れた謎のシルクハットの男、自称ブンガク。玖美の心を見透かせるブンガクと一緒に、玖美は恭平との日々を辿る旅をする。恭平の死の原因は何だったのか? 別れた自分のせいなのか?
    ブンガクは玖美を苛立たせることばかりを言う。ブンガクの言葉から生み出される、この焦燥感というか追い詰められる感じというかが、なんとも座りが悪いんだけれども、座りが悪いからこそ、その先を知って落ち着きたくなるという謎の読書欲を刺激する不思議な文です。そして、その焦燥感があるからこそ、最後に恭平の死の原因を知って、解き放たれて悲しむことができる……。フランス映画っぽい作りですよね。
    <ここから質問>
    これは、どうなんでしょう。何か書きたかったテーマがあるんでしょうか。どんな風にこのお話が生まれてきたのか知りたいです。
    あ、あと、この玖美さんが自然な女性であるところが好きです。ステレオタイプに語ってしまいますが、男性が書く女性って、ときどき「こんな女いねーよ!」って感じのキャラがいるじゃないですか。(逆も然りですが。特に異世界令嬢モノで。)コメントで、恭平が頼りなくて、玖美さんが男っぽい感じと仰っていましたが、いや、全然普通じゃないですか? ということで、女性を書く上で意識していることってありますか?


    むー、一本の小説に絞らずに話をお伺いするのは難しいですね……。でも、木下さんの作品はいろんなテイストがあって一本に絞りにくいんですよ。各お話で重ねて質問させていただくと思いますので、その節はよろしくお願いいたします。

    あと、先回りしてしまいますが、全部が終わった後に次の質問にもお答えいただけると幸いです。

    Q13
    次回の「かもす仏議の四天王」の今後の展開をチラっとお願いします。
    紫苑くんは敵なんでしょうけれど、お茶目なところがあってなかなか憎めません。公団住宅に住んでいて怪仏憑きって設定も好きです。どんな風にして、怪仏と結縁したのか明かされますか?


    Q14
    最後にいつも読んでくれている皆さんへのメッセージをお願いします!


    よろしくお願いいたします <(_ _)>
  •  ご質問ありがとうございます! 有名人になった気分でウキウキで答えさせていただきたいです! お時間はいただいて少しずつになるかも……
     とりあえずQ2の「いつ書いているのか」という問いには「他の娯楽に充てられる時間をゴリゴリに削って、小説を書く時間に無理やりブチ込んでいる」としか……。(いずれちゃんと回答します)……先日も、レンタルしたDVDをまた一度も見ずに返しました……。ゆっくり映画見てェ……。
     質問にお答えするのは楽しそうだし自分を見つめ直して益にもなりそうなので歓迎です。
  • コメントありがとうございます。

    お時間はかかっても構いません! 私もスタンド「殿」を描くために「ジョジョ」風のタッチを習得しなくてはならないので……。

    うん、木下さんは忙しそうですよね。あれだけ書きながら、いつ仕事したり、ゲームしたり、本読んだりしてるんだろうと思ってます。

    質問好きなんですよ……。
    近所の不動産屋さんに 、いつもティナ ターナーみたいな格好している 65 歳くらいの奥さんがいて、その人にもいつかインタビューしてみたいと思っています。

  •  とりあえずA1。
     ペンネームの由来はあまり大したことじゃなく、「(当時)尊敬してる人の名前を少しずつもらった」です。

    「木下藤吉郎(豊臣秀吉)」
    「太公望(古代中国の伝説上の軍師、道士)」
    「空条承太郎(『ジョジョの奇妙な冒険』3部主人公)」
    ……という。
     歴史・伝説・架空と揃ってバランスもいい(?)!

     秀吉はやっぱり知恵と成り上がりっぷりが凄いです。
     太公望は『封神演義』よりも宮城谷昌光先生の小説『太公望』から。
     剣の修行シーンのド根性が凄い……って別に軍師に必要なスキルじゃねえなそれ。どこを見て憧れたんだ私……。
     承太郎は超カッコいいんですが……私、ジョジョで好きなキャラは今も昔も圧倒的にジョナサンと仗助(1部、4部主人公)なんです。
     ……たぶん「やれやれだぜ」とか言いたい年頃だったんでしょう。
     逆に言うと、もしかしたらペンネームは「望ナサン」「望助」かもしれなかったのか…??
  • (A1続き)
     他に、偶然ですが子供の頃のあだ名にも「ぼ」の音が入ってたので、初心に帰れる感じもあって好きです。

     あと、「ぼ」の音って間抜けな響きがあって良いんですよね。
     言葉の「音の響き」って実は重要というか……多くの人に共通するイメージを持たれるものらしいです。
     硬くて強大そうな「ガ行」の音を怪獣や巨大ロボにつけると人気が出やすいとか(ゴジラやガンダムなど)、様々な言語で「母」を意味する単語に「ma」の音があてられることが多い、とか。

     そんなわけで「ぼーっとしてる人」というイメージを与えそうで好きなのです、この名前。

     それに「希望」の望でもあり「絶望」の望でもある。
     希望を抱き、絶望をも知り、その上でぼーっとしてる人。……いや、そいつはぼーっとしてる場合なのか……?

     まあとにかく、「ぼーっとした人」という点では私の本質を示しているような気がします。
  • 私の脳内でスタンド「殿」が「望太郎! 刀だ! 刀を取るのだ!」と叫んでいるのはあながちハズレでもなかったって事ですかね……。
    (他人様で二次創作をするのはやめましょう。)
  • A2

     いつ書いているかについては……私が聞きたいぐらいなのです(?)。

     仕事の時間が割と不規則なので、毎日コツコツというわけにもいかなかったり。まとまった時間がドン! と取れる日もあれば、全く取れない日も多くあったり。勤務時間のトータルでは普通の勤め人と同じぐらいのはずですが。
     休みの日も、家のこととか何かしらの用事に使う時間がかなりあったり。

     なので、とにかく時間がないっ! 少なくとも、コンスタントに小説を載せてると(今も月、木曜に更新中)本当に時間に困ります。

    『書けるときに書けるだけ書く』
    『他の娯楽に使うはずの時間をゴリゴリに削って、全部執筆時間にブッ込む』
    ……という方法でかろうじてやっております。へろへろです。

     幸い、本当に集中した時は5時間ぐらいブッ続けで書けるので(途中でご飯食べる間も小説のことを考えてる)、まとまった時間が取れたときにその状態に持っていけると助かります。この状態を使った後は脳みそがしわしわになります。

     一方、創作にはアウトプットも大事だけど、インプットも大事だなぁと思うので……他の娯楽の時間を削るのはおすすめしません。私の場合は仕方なくそれやってるだけです。
     実際、「あの映画を観てなかったら、あのゲームをやってなかったら、この小説は書けなかった、思いつかなかっただろうな……」っていうのが結構あるので。インプットは大事です。

     ただ……それより大事なのが睡眠。もう一度言いますが何より大事なのが睡眠。
     おいっ、聞いてんのか私! 小説がひと段落したからって深夜に遊び始めるんじゃないっ! いいから寝ろ! 


     書く早さについてはカウントしたことがほとんどないし、人と比べたこともないのでなんとも……。ただ、遅いほうだと思ってます。

     自分で「スゲー早く書けたなぁ!」って印象に残ってる作品を見てみると、
    『約6千500字の短編1本(二次創作)』を
    『多分2時間ぐらいでプロット作成(ただし前日から何となく考えてはいた)』して
    『5時間ぐらいで』完成
    ――という感じです。

     そのときは「なんか成長したなぁ!」って実感があるので、その後はもう少し早く書けるかもしれません。プロット作る時間は別にして。

     でも遅いときは
    『一日のたうち回って(実作業2~3時間)』
    『3行』
    ――とかです。
     なめとんのか。

     そういうわけで、『(文章量と執筆速度的な意味においては)自分の作成能力については一切信用していない』というのが実際のところです。
     なのでやっぱり『書けるときに書けるだけ書く』ことを徹底しています。

     ……本当に欲しい能力はむしろ『今日はムリだな! と思ったらその場で作業をやめる能力』です。
     ダメなときもなんかズルズルと頑張ってしまいがちなんですけど。それで事態が好転した記憶がない……。
     体力消耗→翌日に響く→書くべきときに疲れて書けない→無駄に頑張っちゃう→……という負のループが起こりがちなので、注意したいです……本当に。
     ムリだなー、と思ったら以前書いた内容の手直し程度に留めて、休むようにしたいです。

  •  (A3)
     あー、「プロットを越えないと」って言ってたときのことは……特殊な例です。
    普段はプロットを作ってそのとおりに書いてます。

     あのときは
    「次の章に書く話が決まった」→「その話につなげるために必要な、今回の話の筋はこれ」→「でも今回のプロット、つまんないな」
    ――と感じてたので「もっと何かあるだろ!」と自分で思ってたのです。
     ……結局プロット自体はほとんど変えられなかったな……「キャラの見せ方で補おう」という感じにしましたが、上手くいったかはなんとも言えません。

     余談ですが、自分で「このプロットつまんないなー」と感じる能力については全幅の信頼をおいています。
     小説を書き進めてて突然詰まったときは「これは……反応しているッ! 私の中の『おもんないセンサー』がッ!」と考えています。
     そういうときはたいてい『プロットが面白くない』『キャラの行動が不自然だったり薄っぺらい』あるいは『整合性が取れてない箇所がある』ときなので、「別のプロット考えるか!」「このキャラの過去描写とかセリフを足して、行動理由に説得力を……」「いや、このキャラの行動は別の奴にやらせた方が自然だな、このキャラには別の見せ場を……」「ここが矛盾してるから変えるかどうにかつじつまを……」とかいう風に考えていきます。
     自分の中に、ダメ出ししてくる担当編集者みたいなのがいる感覚(笑)。

     ただこの編集……的確にダメ出しするのはいいけど! 出せよ、同時に代替案を!! それ考えてるのはいつも私だぞ!!(当たり前ではある) 



     話を作る手順については、とにかくプロットを作ってやっていきます。
     プロ・アマ問わず、プロットを作らず書いていく方やそれで成功している方がいっぱいいるのは分かるんですが。
     私個人から見ると、
    『超高層のビルからビルへ張り渡されたロープを』
    『なんか目隠しして命綱なしで渡っていく人がうようよいる……怖……』
    という感じです……(個人の感想です)。

     怖すぎる……私にはとても無理です。命綱何本もつけてすぐ下に安全ネットを張ってから渡ります。
     というわけで勇気も才能もない私はとにかくプロットを作るのです。

     話を作っていく手順自体については、他の人と特に変わりないと思うんですが、
    『書きたいキャラ、書きたいシーンを考える(表現したいテーマを先に考える場合もあるけど、その辺の順番は意識したことがなくあやふや)』
      ↓
    『それらのシーンをつなぐシナリオを考え、全体のあらすじを作る』
      ↓
    『あらすじに沿って各シーンの細かい内容を考える(キャラの行動、台詞)』
      ↓
    『小説として文章化』
    という感じです。
     小説として文章化するまでは、ノートにがしがし書いていきます。


     ざっと答えられるのはこんな感じですが、また付け足すかもしれません。
  •  順番は前後しますが、手早く答えられる質問から。
     (A5)
     使っているのはパソコンで、ソフトはワードです。
     サイト更新は普通に、コピーして貼り付けてを各サイトごとにやってます……何かもっといい方法があるのかも(他のサイトと連動して更新できるサイトもあるらしい)ですが、よく分からなくてやってません……。

  • A2 の

    『一日のたうち回って(実作業2~3時間)』
    『3行』

    がわかりみあり過ぎて転げ回りました。
    私はほとんどの場合がこれです。

  • (A3追記)
     話の内容を映像として、体感としてイメージして、それを文章化していきます。
     どんな光景か、どんな空気感が、登場人物はそれぞれどう感じているか……そうしたことをイメージして、見たまま感じたまま書いていく。そういう感じです。

  • (A4)
     誤字脱字が少ないというのは別にそれを目指してるわけでもなくて、結果としてそうなってるんだと思います(この前も一つあったので直しました)。

     私は自分の作品が大好きです。なので、よく読み返します。書いてる途中の長編でも、書き上げた短編でも。
     私は自分の作品をより良くしたいと思っています。なので、読みながら直していきます。

    「この文章表現の切れ味……さすがやな……それはそうとここの文末は変えよう」
    「この文がさっきの台詞と対になっちょるわけやな……匠や、もはや匠のそれやでぇ! それはそうとこの後の台詞要らんな」

     ……みたいな感じで。

     他にもとにかく、詰まったら最初から(長編ならある程度前から)読み直します。矛盾点はないかとか、出しておく必要のある情報は何か、とか整理するために。

     小学生の頃は作文や読書感想文が苦手だったのですが、そんなとき母が教えてくれたコツなのです。


  • (A6)
     中学生の頃でした。
     姉が書いていた小説のデータを偶然見たのがきっかけです。

     突然極彩色の異次元への|裂け目《クレバス》に引きずり込まれたかのような衝撃でした。
     姉が小説を書いてるなんて知らなかったので。控え目で聡明な姉の内側に、こんな異次元が広がっているのか!! と。

     それから自分もやりたいと思い、書くようになりました。
     初めて小説を書いたときの衝撃もまた、覚えています。

     書いていく端から端から世界が形作られていく感覚。
     自分の内から湧き上がる力が、全てを飲み込んでいくような感覚。

     神の――一神教の、世界を創る神の――感覚を理解した、と思いました。

     今はもっと軽やかに書けます(調子のいいときは)。
     歌うように。歌詞もメロディーも覚えてしまっている歌を、歌うように。


  • (A7)
     あまり作家は意識せず乱読することが多いのですが。それでもやっぱり、追ってしまう作家は何人もいます。
     その中でも直接影響を受けた方は、特に

    (文学方面)
     内田|百閒《ひゃっけん》先生
     小川洋子先生

    (アクション方面)
     菊地秀行先生
     夢枕獏先生

    でしょうか。
     



     |百閒《ひゃっけん》先生は小説よりも随筆を主に書かれた方なのですが。文章がとにかく上手い。
     天才・三島由紀夫が「文章が上手い作家は誰か」と聞かれて、|百閒《ひゃっけん》先生の名を即座に挙げた、といわれています。天才を超えた天才……。

     小説作品は非常に少なく、短編が主なのですが。
     昼間に見た夢のような、奇妙な出来事をごく当たり前のように描写されるのです。それがすごく自然で、「ああ、そういうこともあるのかな」とか思わされちゃう。
     で、やっぱおかしいぞ……と思い始めた頃にはもう次の短編が始まっちゃう。
     まるで、す、と飲み込んだ食べものが、気がついたら胃の腑でもぞもぞ動き始めたかのような。そうするうちに次のごちそうが来ちゃう。
    でもなんだか、それはそれでいいか……となっちゃう。

     消化不良ですら心地良い、そんな小説を書く人物……|百閒《ひゃっけん》先生のほかは、パッと思いつきません。


     小川洋子先生もまたとにかく文章が上手い。個人的な基準では、文章の上手い作家トップ2はこのお二人だと思っています。

     小川先生の文章はとにかく繊細で、しかも過不足がない。きれいなのに飾り過ぎない、透明感のある文体。

     文が書かれてあるというよりは、そっ、と置かれてあるような。
     ひっそりと、そっと、あるべき形であるべき分量だけ、あるべきところに、そっと置かれていった文章。
     それが道の最初から最後まで続いて、あるべき所から導かれてあるべき所まで帰りつくような。短編は特にそんな印象です。

    (A7後半は後日に)
  •  (回答ではない余談)

     ……ありていに申せば、随分つろうございました。
     何がつらいって、自分が嫉妬を抱いていることがつらい。先に回答なされているお二方にでございます。
     
     数字的なものは極力、自分のも他人のも見ないようにはしておりますが。……ついつい見ちまった。
     ……見るんじゃァなかった。

     向こう様のうなるような評価数値、それに伴うであろう読者数に比べて、こちとらの読者様ァ全員にご足労願ったところで、公民館の和室の小っちゃい方にみんな入りきってまだスペースが余る感じでございます。

     何だこの差。
     比べるのもバカらしいが比べずにはおれない。
     そりゃァ嫉妬もする。
     あァ涙までにじんできた。


     ……って、まァそんなこたァ小説の続き書いてるうちにどうでもよくなったんですがね。
     メンタルはモヤっていても小説はまさに絶好調。書いて書いて書きまくってるうちに他のことなんかどうでもよくなってきたってもんです。

     ……人として考える力まで失った……ってコト!?

     まァあまりに悩んでいたんで、全く別のとこで作品を叩かれたけどそれどころではなく痛くもかゆくもない……やっぱりちょっとムカついたんで叩かれたのをネタに掌編を一本ひねり出しました。なかなか格調高いものになったと自負しております。明日公開。

     ともあれ、どうせこうやって比べる羽目になるんで、他人語りも自分語りもあんまり興味はないんですが(そうだっけ?)。
     この辺で無名の者が出ないことには。この後に無名の方が続いたならば、同じ荷を背負うことは必定。

     とくれば、ここはこの木下望太郎が適任と言う他ございますまい。

     何せこいつは恋人に振られてこの世の全てに絶望したちょっと後に、落語(風の『斬屋顛末』)を三日で一から書き上げる奴だ……しょうじきあたまがちょっとおかしい。

     まあそんな自分語りをしたところで、この辺で。
     

  • (余談、続き)
     ……正直取り乱しました。申し訳ないです。
     不安に思われたことと思います。すみませんでした。

     先のお二方やこの企画をけなす意図はありません。良い企画だと思います。
     また、誤解のないように重ねて言いますが、結論としては「つらいけど頑張ります」です。ぜひやらせて下さい。


     基本的に私は「アマチュア創作者は皆ライバルであり対等」だと思っています。なので、有名な方と一緒の企画に参加できて光栄です! みたいな感覚はないんですが。
     だったら逆に、コンプレックスを抱く必要もないはずです。他の人が「オイオイ有名な人が続いたと思ったらなんか知らねーヤツ来たぜ、見んのやめよーっと」とか思ってても、知らん顔してればいいはずです。
     私ももちろんそうするつもりです。

     が。やはり私自身の中にもあるのです。数値的なものを意識する気持ちが。
     読んで下さる方がごくわずかでもいてくれてありがたい。いつもそう思うのですが。
     いざ、有名な方と比べてみると、ごくわずかな方にしか顧みられていない。その事実に、気持ちにヒビが入れられる気がするのです。

     自分自身が矮小なものに感じられ、自分が自分に「オメー偉そうに自分語りブッこいてってっけど、前二人と違ってその言葉に何の保証もねーからなオイ」とツッコんでくるのです。


     なかんずく、他人の成功というものは見るだにつらい。
     そういう嫉妬深い者が一定数いるはずです、特にこの場では――『書く』『読む』の、『書くこと』に重きを置いている者は特に。私もその狭量な者の一人です。

     これも重ねて言いますが。
     私がこの企画にいることは、この企画にとって意味があるはずです。
     もし今後参加を依頼した方が、そうしたタイプだった場合(そんなにいっぱいいるかは分かりませんが)「こんな高評価の奴と一緒の企画になんかいられるかっ! 私は部屋に帰らせてもらう(推理ものの死にフラグ)!」とか言い出すかもしれません。

     そこに私が混じっていることで「おいおいこんなクソザコナメクジもいんじゃねーかコイツよりは俺の方が高評価だぜ」とか思ってもらえるはずです。それでいいと思います。


     私と同じ狭量な書き手のために、ぜひこの企画に参加させて下さい。つらいけど頑張ります。

     まあ自作の宣伝になるからっちゅう打算が大半なんやけどなブヘヘヘヘ(汚い笑顔)。

  • (A7、続き)

     アクションやバトル方面では、直接影響を受けたのはやっぱり菊地秀行先生。
     得意とされる伝奇バトルものでの、分かり易く迫力あるアクション描写はもちろんのこと。キャラクター造形がまた素晴らしい。
     『|吸血鬼《ヴァンパイア》ハンターD』みたいな、「カッコよすぎるほどにカッコいい」ヒーロー像も素晴らしいのですが。
     個人的には「カッコ悪いけどカッコいい」『妖魔戦線』シリーズの主人公を、自分の描くヒーロー像の一つの手本としています。

     なんかこう、変なところでカッコ悪いというか普通の人なんですよ。
     敵の所に乗り込んでいったのに「月給50万に美人秘書もつけてやろう、わしの下につけ」とか言われてちょっと考えちゃったり。で、誘ってきた敵が逆に、何だこいつ……ってなったり。
     また別の敵方との交渉場所にラーメン屋を指定して、五目ラーメンとギョーザ食って待ってたり。山中の重要な拠点を目指してて野営しながら移動してるときに、敵チーム(自衛隊)「お前ら国費で牛缶とか食ってんだろ! 俺なんか安いサバ缶だぞ!」とか。(台詞は今すぐ確認できなかったので、原文ではありません。記憶にある限りのうろ覚えの文です)

     ヒーローはカッコいいもの、という私の固定観念を粉微塵に打ち砕いてくれた、等身大のヒーロー像でした。それなのにカッコいいとこはものすごくカッコいい。

     以来、私の書く主人公は必ずカッコ悪いところを描くようにしています。ガンガンとカッコ悪くしていきます(?)。

     それと、菊地先生は短編の隠れた名手であることも忘れてはいけません。
     奇想溢れる展開を力強く、鋭く描き切る……菊地先生の世界に叩き斬られたかのような、放心してしまうような読後感。
     初めて先生の短編を読んだときは(もちろんそれまでも伝奇バトル長編の名手として非常に尊敬していましたが)「ナメてました……先生の実力を半分も理解していなかった愚か者で、申し訳ありませんでした」と思い、心の中で頭(こうべ)を垂れたものです。


     夢枕獏先生もまた、伝奇ものや格闘もので有名な一方。歴史、登山、釣り、SF……非常に多才な方です。
     そんなに多様な作品を書いていながら、どれも夢枕先生独自の文体……否、もはや『文圧』とでも呼ぶべき独特の圧があるのです。

     簡潔かつグイグイと力強く、己の意を押し通してゆくような。斧を叩きつけるかのような文体。
     それでいて細やかな自然描写を情緒たっぷりに差し挟む、まさに緩急自在。

     確かな技量に支えられた上での天衣無縫。気がつけば夢枕ワールドにずっぽりと飲み込まれてしまっているかのような、まさに『たまらぬ男であった』。

     また、後書きが上手いというのも特徴的。私も小説以外の文を書くときは、夢枕先生の後書きを意識することが多いです。


     他、アマチュアの方々ですが。
     『アマチュア創作者は皆対等であり、誰もがライバル』だと捉えているので、あえて尊敬する方を上げることはいたしません。もちろん、尊敬すべき方は多くいらっしゃるのですが。

     あえて一人挙げるとするならば……イカワ ミヒロさんの『テキエロ!』は素晴らしい作品だったと思っておりますですよブヘヘヘヘ(企画主であるイカワさんにおもねるような笑みを向けながらの発言)。(あと、本当はタイトルの最初に『!』を逆にしたスペイン語の記号が入ります)

     いや、でも本当に素晴らしい作品だったのです。オトナに片脚を突っ込んだ女の子とオトナの男との、一夜の恋から始まる恋愛。

     私はいつも、主人公に感情移入して自分が体験するように小説を読むのですが。この作品に限っては、別の見方ができたのです。
     他人の色恋沙汰を、横から見てる誰かのような目線で。それこそ酒呑みながら、「そこだそこ! 押せーっ!」とか「あーそうじゃない、あーーバカ!」みたいな。野球観戦か(笑)。

     私があまり恋愛主題の作品を読まないということもあるかもしれませんが。新鮮な体験として、非常に印象に残っています。


  • (A4追記)
     Q7の『影響を受けた作家』の回答に入れようかとも思ったのですが、こちらの質問に『文章のリズム』という点があったので、ここに書いておきます。

     文章のリズムや文体については、常に『語り』としてのリズムを意識しています(無意識でやってるかもしれません)。

     小説を読むとき、人によっていろんなイメージの仕方があるみたいです。映像として見える人、アニメ風の映像になる人、漫画を描く方なんかは漫画のコマ割りになって見える人もいる……なんて聞いたこともあります。

     私の場合だと『実写映像として見える。同時に、地の文がナレーションとして聞こえる』のです。
     ラジオドラマや落語を聴く場合と近いかもしれません。語り手の声を聞きながら、語られる内容を映像として思い浮かべるという形です。

     だから、私にとって『本気を出して小説を読む』という行為は、
    『ナレーターの語りを、その話芸を――それは主人公の声だったり、枯れた声の渋いナレーターが専門にいたり。あるいはさわさわと耳をくすぐる、ヒロインの澄んだ声だったり――楽しみながら、眼前に展開される光景を見て、その場の空気をも肌で感じる』
    という究極! まさに究極の体感型超ド級エンターテイメントなのです! ぜいたく!(力説)


     で、リズムや文体の話に戻りますが。
     私はそういう小説の読み方をするので、当然自分が書く場合も、それに合わせた形を取ることになります。
     つまりは、『語り』。耳に心地よい『言葉のリズム』、それを意識して文体を編んでいくことになります。
     文章とは、文字である前に『言葉』。つまりは『音声』『音』なのです。

     おそらく、私の文は『音声として語り上げられることを前提に、その文体が編まれている』のです。

     なので、体言止めや倒置法で文章をピシッと区切って、語りに張りを持たせる……とかをよくしています。無意識にやってることが多いと思います。

     こうした『語り』の、一つのお手本というかイメージ元としているのが、落語や歌舞伎、浄瑠璃といった、日本古来の語りの芸能です。
     その語りのリズム、引き込む力。まさに話芸。

     あまり多くは読んでいませんが、近松門左衛門の浄瑠璃の、流れるような湧き上がるようなリズム。文章のためにリズムがあるのではなく、リズムのために文章があるかのような作風。
     正岡子規はそういうのを『あほだら調』と揶揄し批判したのですが。いやいや、これはいいもんなんですよ正岡先生。好みはそれぞれなので何とも言えませんが。

     他に、空海の文章も雄大なリズムがあり、一方で『この文とこの文が対の内容になってる』などといった細やかな計算があり。かと思えば、仏教解説書なのに突然戯曲風の問答が始まったり、といった遊び心もあるのです。
     いったい、この人が現代にいたら、どんな文章を書くのか……想像もつきませんが。あえて想像しようとすると、一読者としての期待よりも一文士としての恐怖の方が大きい。
    やはり天才か……空海、怖ろしい人……!(白目をむきながらのコメント)


     ただまあ、私のこうした文体も弱点がありまして。
     というのも、どうやら皆が皆私のような小説の読み方をしているわけではないようなのです。……むしろ少数派かもしれません。

     なので、『私の読み方に最適化してある』私の文体は。他の多くの方たちにとっては、最適というわけではないのかもしれません。

     たとえば、句読点の打ち方なんかも。文章の意味の区切りというより、語りのリズムや息継ぎの位置に寄せてやってる所があるみたいです。多分無意識に。
     なので、そうした点なんかは読む方が引っかかる場合があるのかな、と思います。
     ……自分では読み返してもなかなか気づかないんですよ。自分の読み方で読んでるから。


  • (A8)
     目指していること、というと少し違うかもしれませんが。
     信条というか、意識していることは

    『全ての創作者はお好み焼き屋さんである』ということ。


     ……お前変なクスリでもやってんのか、と思われても心外なので手早く解説しましょう。
     お好み焼き屋さんにも色々ありますけど、ここでいうお好み焼き屋さんは焼く前のタネの状態で出してくれるタイプのお店。テーブルの鉄板で、客が自分でお好み焼きを焼く感じのお店です。

     で、それが創作やら小説とどうつながるんだという話ですが。
     あらゆる創作物は、それを目にする人や耳にする人がいて、初めて完成。そう私は捉えています。

     特にそれは小説において顕著です。
     主人公はどんな外見、どんな服装? あの登場人物のことをどう思っているの? あのときこう言われたけど、どう思ったの? こっちの登場人物は主人公をどう思ってるの? 

     主人公に似合うブランドは何? このシーンに合うBGMは? ここでどんな風にナレーションが入るの? 


     ――作品に書いてあることも、書いていないことも。作者が伝えたいことも、意図していないことも。
     読者は受け止め、展開します。『その読者だけのその作品世界』を。それでようやく、作品は完成。

     逆にいえば、『作者だけの作品世界』は作者にしか分かりません。それを100%伝える術(すべ)は、おそらくこの世のどこにも無いでしょう。

     なので。作者がお好み焼きのタネを作り、読者が焼く。それでようやくお好み焼きの――作品の――完成。それ以外に、作品を完成させる方法は無い。

     だから、謙虚に。創作者は謙虚に。
     我々は誰もかれも、『未完成品しか造ることができない』。読者の手に渡ってようやく完成する、未完成品しか。
     作品を最後に完成させるのは、常に読者の力。


     そして読者は、作品をどう解釈しても自由。
     紅しょうがを載せて焼いてもいい。お好みソースをかけずにマヨネーズだけで食べてもいい。マスタードをつけたって……え!? お前チョコソースかけるの!? 別にいいけど! 練乳も!!? 


     ……逆に、『作品が楽しまれるかどうかは、ある程度読者の力量にもかかっている』ともいえます。
     お好み焼きを焼くこと自体はまあ、誰でもできるようなこととしても。上手く焼ける人もいれば、焦がしちゃう人や生焼けになっちゃう人もいます。え、このお好み焼き甘ったるいって? お前がチョコソースかけたからだよ! 練乳も! 

     まあ、その作品を楽しめるかどうかということについては、作者の力量や読者の読解力よりも、結局は『作品と読者の相性』が一番のウェイトを占める要素のような気もします。



     ……まあ要は。
    『作品に対して謙虚に』
    『読者に対しては気負い過ぎず』
    やっていきたいということです。
     また、自分が他の作品に触れるときは真摯に向き合いたいです。
  •  ……楽しくなってきたような気もするので大丈夫です。回答が遅くて申し訳ない。
  • 回答のスピードはお気になさらず。私もジョジョ絵の練習をしていません。

    ちょっと回復してきました? 一応、激励(?)の……いや、かえって落ち込んだりしたら申し訳ない(先に謝っときます)ですが、メッセージを考えてきたので投下します…… (- -;)

    * * *

    余談の余談 02

    (剣道部の先輩ポジでの発言)

    「木下ァ! 何ビビってんだ!

    「そりゃあ、先手二人は上位の段を持つ実力派だ。その後に続くお前が注目を浴びちまうこともあるだろう。

    「だが、お前はお前だ。

    「お前がコツコツ実力を高めてきたことをオレは知ってる。お前の出場した試合も全部見てきた。もう少し頑張れた試合もあったが、ビックリする位いい試合をしてきたのもお前だ。

    「確かに上手い剣捌きをする奴はいる。無駄のない動き、キレ。天性のもので、ああ、オレには真似できねえなって思うこともしょっちゅうだ。お前の気持ちはよくわかる。

    「でも、オレから見ればお前の剣もそうなんだよ。

    「良く練られた動き、予想もつかない切り返し。目が離せなくなるような試合に展開させる才能は、いつもスゲェなって思ってんだよ。

    「だから、つべこべ考えずに、お前はお前の試合をすればいい。お前の剣はお前にしか振れないんだ。

    「あと、忘れんじゃねえよ。これはたかだかアマチュアが勝手に組んだイベントだ。だが、誰もかれもが出場できるわけじゃねえ。

    「百万人。

    「ここで切磋琢磨してるヤツらは百万人だ。

    「お前はその百万人の中から選ばれたんだ。胸張って堂々としてろ。

    「お前の剣をみんなにただ見せてやりゃあいいんだよ。

    「ほれっ、グダグダ言ってねえで、とっとと行ってこい!」

  •  あざーーっス! 
     ご迷惑をおかけしましたが……つい数時間前に自分で自分を説得することに成功したので書いておきます。



    (A8追記)
     ……と書いておいてなんですが、また別の考え方もあることに先日気づかされました。前半は近況ノートに書いたことですが。


     ――創作者ヘンリー・ダーガーの孤独を想うと、勇気が湧いてくる。
     物語を書くことへの勇気と、何よりも、孤独であることへの勇気が。――


     ヘンリー・ダーガーという物語創作者がいた。作家ではない。つまりプロではなく、ただのアマチュア創作者だ。
     19世紀から20世紀にかけてのアメリカで掃除人として生きた彼に家族はなく、友人もなく、財産もなかった。

     ただ物語だけがあった。1万5千ページを超える超長大な絵物語『非現実の王国で』。約60年間にもわたって書き続けた、誰にも知られなかった物語が。

     晩年に彼はアパートの大家へ、遺品は捨ててくれ、と伝えていた。だが大家は部屋を埋め尽くすゴミの山から、その物語を――他にその続編や、フィクションを含む彼の自伝を――発見した。
     それがヘンリーにとって、望ましいことであったのかは誰にも分からない。


     ――彼の孤独を想うと胸の内が震える。
     その物語を誰かに見て欲しいとは思わなかったのか? 
     主人公やお気に入りの登場人物の活躍を、誰かと話してみたいとは? 
     60年間、人生丸ごと、まさに心血を注ぎ続けた|命の成果《ライフワーク》に対する、正当な評価が欲しいとは? 
     あるいは必要ではなかったのか、そんな評価は? 
     彼だけのために生まれ、彼と共に誰にも知られず消えていく、その方がよかったのか? 




     ――人が物語を生み出すなんてことは、実はなかなかない。人生においてそんなことをする必要はどこにもないからだ。
     であれば、そこには必ず動機がある。

     フィクションの話で恐縮だが、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』で漫画家・岸辺露伴はその動機についてこう語っている。
    「ぼくは読んでもらうためにマンガを描いている! ――ただそれだけのためだ、単純なただひとつの理由だが、それ以外はどうでもいいのだ!」

     『読んでもらうため』――崇高な理由だが、ヘンリー・ダーガーの場合は違っただろう。
     おそらく彼の物語は、彼が自身のために書いた、それだけですでに役目を全うしていた。
     だから彼は、捨ててくれと言ったのだろう。彼と共に在り続けたその物語を。


     ひるがえって私自身は、と考える。
     今私が書き続けている長編は――非常にありがたいことに――読者がいる。片手で数えられるほどの人数の。
     その読者が仮に百人だったら? 千人、一万人だったら? 何か変わるだろうか? 

     ――たぶん、何も変わらない。
     もちろん多くの人に読まれた方が嬉しいだろうが、それが作品に影響するとは思えない。
     自分が書きたいように書いている――もちろん他人が読んでも面白いよう、最大限の努力はしているつもりの――物語だ。千人が読もうが万人が読もうが変わりようはない。

     逆に、読者が0人だったら?
     ――たぶん、何も変わらない。
     書くのをやめようか、と思うこともあるだろうが。それでも変わらず私は書くだろう。
     私は自分の物語の結末を知っている。
     だが、その結末をまだ書いたわけではない。つまり、体験したわけではない。

     知識と体験との間には、常に無限の差異がある。
     書いてみればその結末は、構想とまるで違ったものになる可能性すらある――そこには無限の差異がある。
     私は、私の物語の結末を体験したい。


     なぜ書くかという問いに対する、私の答えはごく根源的なものだ。
    『書かずにはいられないから』、ただそれだけだ。

     書きたくてしょうがないから書く。それを読む人がいようといまいと、そんなことは後で考えればいい。書きたいのだから。

     それは当たり前のこと。偽りようもなく、また人目を気にする必要もないこと。
     腹が減ったから食い、悲しいから泣き、うんこしたいからうんこするような……いや、最後のは人目を気にした方がいい。



     ここまでは近況ノートに書いたことです。
     ……で、前段に書いたのと今書いた、二つの考え方。
     ――『物語は読み手に伝わることで完成する』とする前者の思想。
     ――『物語は作者が作ったことのみで完成し得る』とする後者の思想。
     これら二つは対立するように見えて、両立し得る。

     作者が作った時点でそれは『作者にとっての完成』。
     読者が受け取った時点でそれは『読者にとっての完成』。
     その二つは、全くの別物だ。

     たとえ『読者が0人だとしても、作者にとって未完成ということはない』。

     ならば、読者が千人だとしたら? 万人だとしたら? 
     そこにはそれぞれの完成があるばかりだ。一人一人別々の、千人いれば千通りの、万人いれば万通りの。
     それらは一つ一つ別の完成、別の体験だ。千あろうが万あろうが、一つ一つ別であることに変わりはない。

     『作者一人と作品という、一対一の関係』
     『読者一人と作品という、一対一の関係』
    があるばかりだ。その関係の価値を決めるのは常に
     『作者一人』
     『読者一人』
    その判断だ。

     読者が千あろうが万あろうが、そこにはその読者一人だけの価値があるばかりだ。
     それには決して、他者の価値まで累積されるわけではない。一人一人、全く別の価値が千なり万なり、あるばかりだ。


     つまり読者数一人の作品Aと、読者数一万人の作品B。
     『BはAの一万倍の人数に読まれている』ということは事実。
     しかしそれは『BはAの一万倍の価値がある、という意味ではない』。
     価値は一人一人が判断するものである。




    (余談)
     ご存知のとおり、他の方の読者数や評価数値(だいたい皆私よりは高いわ!)を見て超絶メソメソしてたのですが。
     どうにか自分の説得に成功しました! 

     それぞれ判断基準はバラバラだし、そんなに他人の評価を気にしなくていいんじゃないか? という気になってきたのです。
     まあそんなバラバラな基準で評価されてるのはやっぱりスゴいんでしょうけど。それがあったところで、自分自身の評価に何も影響はない。


     そこを勘違いしてメソメソしていたのでした。そんな必要はなかったなー、と思っています。
     まあその辺は色々考え方はあるでしょうが、現時点の自分としてはこの考え方で。
     不愉快な思いをされたことと思います。大変申し訳ありませんでした。


     ……なんかA8は長いし読者の負担になるようだったら、別の手短な話にしましょうか? 『読者は初手で斬り殺すつもりで書いている』とか。

  • 全然不愉快と思ってないので、お気になさらずです。

    木下さんって心理分析能力が非常に高いですよね。先日の作品叩いた人の心理とか、今回の自分の気持ちとか。そして書くことがそのままカタルシスになっているという、葛藤が創造に直接結びつく極めて経済的な(?)心理機構をお持ちですね。

    まだ若いんだし、上を目指したり、人と比べたくなるのは普通ですよ。むしろ、この短時間で自分で気持ちを分析して落とし所を見つけられる方がよっぽど達観してます。モヤモヤした気持ちを言葉にできるなんて簡単なことじゃありません。ただ、あんまり自分を追い詰めないでいただきたいなあ、と。

    ヘンリー ダーガーだけでなく、世には知られていない芸術家や音楽家や物書きがたくさんいますよね。確かに創作をする動機も目的もそれぞれです。読まれることで「何者かになる」ということもあります。でも、やはり創作は自分との対話、己を知る作業なのかな、と思います。

    そういう意味で、木下さんの文章は正直で真摯だと思うし、それを表に出せる勇気がある!と思って読んでいます。私のごだごだ言うことも曲げずに聞いてくださるし (笑)

    まあ、英雄は苦しみを乗り越えてこそ英雄になれるので、苦しみに潰されない程度に力を抜いて英雄への道を歩んでいっていただきたいと思います…… 😉

    A8 は二つに分けるので大丈夫です!




  • (A9)
     書いた直接の経緯としては、当時所属していた小説講座の先生から「30枚ぐらいの作品を書いてみなさい」と言われたことによります(400字詰め原稿用紙30枚分=空白込みで1万2千字)。短い中にまとめることで構成や文章を磨け、と。

     で、私は時代物の小説を結構よく読むので(山田風太郎先生、柴田錬三郎先生、津本陽先生、池波正太郎先生、他)……というか当時『シグルイ』(漫画。因縁の宿敵同士の真剣試合を描いた超名作)にハマってたので、書くか! 剣客バトル! となったのです。時代物を書くのは初めてでした。

     最初の構想ではもっと、主人公が旅に出た経緯とか敵の出自とか、色々考えてたんですが。とても30枚に収まらないのでガンガンとカットしていきました。
     なので、書き手としての創作課題は「削ること」でした。
     文章の、物語構成の、不必要な箇所をとにかく削っていく。その上で表現したいことは全て表現する……という。


     モチーフや課題はそれとして、テーマ的な話を。
     テーマは一目瞭然というか、『凡人対天才』です。
     ……皆さんは感じたことがありませんか。何かに対して本気で打ち込んでいるとき『あなたより常に先を行く者』の存在を。
     勉強に、スポーツに、仕事に、恋愛に、そして創作に……自分より適性を持った者の存在を。自分とは違って、神に愛された者の存在を。

     ……凡人は、凡人たる私は、天才にどう対すればよいのか? 
     この作品に描いたものがその答えとなり得るものかどうか……ともかく、それを目指して書いたものです。


     『剣での戦いを描くこだわり』については、特になにかあるというわけではありません。
     私は剣道を含む複数の武道の経験があるので、それを元にはしています。
     もちろん、それがそのまま物語の中で使えるというわけではありません。逆に、普通の人間にはできないようなケレン味ある超人バトル……みたいなのも必要かとは思います。今のところは、あまりそうしたものは書いていませんが。

     けれど、そうした場合も身体感覚に嘘をつきたくない。人間の身体感覚の延長にあるものとして、リアリティを持ったものを書きたいと思っています。


  • (A10)
     この話を書いたのはだいぶ前なのですが。その前に剣戟要素の強い『斬聖リバーロ』を書いていたので、次は文学やるぞ! ということで企画しました。

     これを書いたときの意図とか気持ちはもうはっきり覚えてないのですが(おい)、殺人者の気持ち、少年の日特有の危うさ……そういったものを再現してみたかったのだと思います。

     そして、何より重要なのが『二人いる』ということ。
     主人公が二人いて、それぞれの視点がほぼ交互に語られる構成。タイトルも『僕らは』とある――原案のタイトルは『人斬り人殺し』という身もふたもないものでしたが、それも人斬りと人殺しと、二人いる――。

     『人間は決して分かり合えない』というのが私個人の信条であって、この話の主人公二人も、同質な存在でありながら分かり合えてない、というのが描かれていくのですが。
     最後、その二人が解り合うシーン。これが書きたかったのだなぁ……と思います。

     主人公をそれぞれ取り巻く問題は、実はほとんど解決していないのですが。それでもこの二人ならもう大丈夫だ、そんな確信があるエンディングをかけたと思います。

  • 木下さんも小説講座に通ってたんですね。何年くらい行ってらしたんでしょうか? どんなことをしましたか?(読み合いとか、先生からの講評とか?) これは勉強になった! みたいな点はありますか?

    「人間は分かり合えない」
    そうですよねー。同感です。私も小説のキャラに言わせました。そして問題は解決していないが、大丈夫というのもわかります。視点が変われば、状況も変わるんですよね。

    でも、「次は文学やるぞ!」って先に企画ありきなんですね。テーマがあれば、何か書けるってことですか……? 

  • (質問追記への回答)
     小説講座は、文学系の通信講座を4、5年? ぐらい受講してました。通いの講座もあるんですが、私は自宅から遠かったので通信講座+年数回集って講評し合ったり、講座を受けたりという感じです。
     通信講座としては年4回(だったか)作品を送って先生から講評を受けて……という形でした。

     勉強になったかというと……なんていうか、あらゆる学校や習い事もそうなんでしょうけど、「教えてもらうつもりでいると何の役にも立たなくて、学ぶ気で行けば勉強になる所」という感じでした。
     先生に教えてもらうというよりは、自分に近いことをやってる人や、自分より上手い人を見て刺激を受けたり。あとは先生からほめられたり叱られたりで発奮するというか。
     自分としては、あまり技術どうこうで参考になったわけではないかなあ、とも思います。
    でも、得たものは多かったとも思います。

     とにかく良かったのが「締め切りがあること」でした。
     私は「書かずにいられないから書く!」みたいなエラそうなこと言っておいてなんなんですが、「書かずにいられないこと以外は書かなくても平気」な人間のようです(笑)。

     投稿サイトに掲載した小説も、中編は全て小説講座用に書いたやつです(講座と無関係に書いたものでサイトに掲載してあるのは、長編『喪失迷宮の続きを』、『かもす仏議の四天王』、他掌編、随筆、他のサイトに載せてある二次創作)。

     とにかく書く! 書きたいかどうかではなく書こうとして書く! 無理やりにでも書きたいことを見つけて書く! という体験から、なんだかんだいって生産力、テーマの見つけ方、それを文章に落とし込む力……全てのレベルが底上げされたと思います。


     次に、「テーマありきで書けるのか?」ということですが。
     基本的には「キャラクターありき」だと思ってます。「この人を書きたい!」と言うのが原動力(なので、一次創作も二次創作も基本的には変わらないと思ってます)。
     ですが「このテーマを書こう! →そのためにはこのキャラを書こう!」という場合もあるので……どっちが先とはいえない面もあります。

  • (A11)
     怪仏というアイデアのルーツ……その話をすると仏教哲学にまで踏み込んでいくことになるので長くなります(別に冗談で言っているわけではないのです)。
     なので手短かつ大ざっぱに言いますと『好きなゲームと漫画の影響』『仏教に関する宗教的な疑問』辺りがルーツです。

     まず『影響を受けたゲーム』……私は以前から『女神転生』シリーズの大ファンなのです。
    元々神話が好きなので、世界中の神話や伝説に登場する神や悪魔や妖精……そういった存在と時に敵対し時に仲間とする、このゲームが大好きなのです。現代が舞台なのも素晴らしい。もしこんなことが実際の世界で起こったら……と考えるとドキドキします。

     で、私は仏教好きなので「よし! 仏召喚して戦う話書こうぜ!」という風に。

     ただ、『かもす仏議の~』場合、直接影響を受けたのは女神転生の派生作『ペルソナ』シリーズの方が大きいかもしれません。神仏そのものじゃなく、神仏の姿を取った心の中の存在を呼び出すというか。

     あ、ちなみに『かもす仏議の~』の主人公の一人、|崇春《すしゅん》が扱う仏についてですが。それが仏教四天王の一人『増長天』なのは、女神転生派生作品『魔神転生』にルーツがあるのです。
     この漫画版に出てくる増長天がめっちゃ好きで! めちゃめちゃ好きで! 自作でも増長天を扱いました! (※『魔神転生』の増長天の名誉のため言っておくと、キャラ的には全く別ものです)
     ……そういや私が仏教好きになった最初の理由ってこれだわ、増長天ファンだからだわ……(そのだいぶ後、哲学思想的な面に引かれて本格的に仏教ファンに)。

     『影響を受けた漫画』はオカルト伝奇バトルの古典的超名作『孔雀王』シリーズ。
     主人公らが印(密教独特の手のポーズ)を結んで|真言《しんごん》(呪文)を唱え、守護仏の力を借りて戦う……これがまた! ミステリアスで超カッコいいんですよ! 
     この作品も素晴らしいので色々と推しポイントや推しキャラを語りたいんですが、長くなりそうなので……控えておきます。


     次に『仏教に関する宗教的疑問』ですが。
     原始仏教(歴史上の釈迦その人が提唱した最初期の仏教。哲学的側面が大きい)の教えをものすごくざっくり言うと「執着を捨てたら楽に生きられるっスよ」っていうことなんですが(本当にざっくり言うと)。
     現代のお寺を見ると、学業成就、無病息災……様々な|御利益《ごりやく》がうたわれている。
    ――それっていいの? 原始仏教の教えとは逆に、執着しちゃってるんじゃないの? 
    という疑問から「じゃあその『執着』、色んな人の願いや欲望である『執着』が積もり積もって、その願いに対応した仏の姿と能力を模した怪物……『怪仏』になった、ってことにしようぜ!」と。

     ……一応その宗教的疑問についてですが。一概に批難すべきものではなく、原始仏教から上座部仏教を経て大乗仏教、密教……それらの歴史的変遷とそれぞれの思想を踏まえて考察すべきところではあるのです。が……長くなるので割愛! 



  • (A12)
     この話も小説講座に参加していたときのものです。
     その講座のとある参加者の方が、男女の機微を、ま~~超お上手に書かれていまして。それにムカついて(笑)「ワシも書いたろうやないか男女の機微をよぉ!」という経緯で書くことにしました。
     で、当時やってたあるゲームの舞台が小さな島だったので、「じゃあ島を舞台で」と。
     ……ふたを開けてみたらあんまり「男女の機微」でもないような……? まあいいか! あ、舞台はちゃんと島です(だから何)。


     書きたかったテーマは……というと、そんな経緯で書かれた作品なので(笑)何、と聞かれると絞るのが難しいのです……(大丈夫か)。
     あえていうなら「人の心はすれ違うけど、どうしたらいいんだろう?」「文学って何? 人って何?」
     もしかしたら書いた当時考えてたテーマとは違うかもしれません。

     というか、ハザマダ ブンガクという怪しいキャラクターが書きたかったのかな、と思います。……いや、男女の機微はどこ行ったんだよ!? 
     まあ、それは動機の半分であって。やはり主人公である女性の心の動きが書きたかったのです。


     次に、女性を自然に描くため意識していること、ですが。
     オイオイそんなの木下望太郎先生自身がバリバリのキャリアウーマンだからに決まってますわよオホホホホ……か、どうかはともかく、木下望太郎は年齢性別不詳の覆面文士なのです(そうだっけ?)。

     まあそんなことはどうでもいいとして、女性を描くときに意識していることは。
    まず、お人形さんにならないように『怒るところは怒る』ということです。

     『何に対して、あるいはどうして』怒るのか――自分のどういうところに対して、他人のどういう言動に対して? 
    誰だってそりゃ怒るよ、ということもあれば、その人独自の怒りポイントもあると思います。

     『どんな風に』怒るのか――怒る=キレる、ではない。
     足踏みをする、腕組みをして指で腕をトントン叩く、意味もなく持物を整理する、誰もいない方を向いてすげぇ嫌な顔をする、あるいは怒っていることをはっきり伝える……色々だと思います。
     何にどう怒るのかは、その登場人物の個性がはっきり出るところだと思います。

     そして(実はさっき言ったことも含まれますが)『その人物の中に入って、その人の目で世界を見てみる』。
     要は『自分がそのキャラだったらどう感じて、どう行動するか』。

     人は他人のことは分からないけど、自分のことは結構分かるのです。なので、「自分がそのキャラの性別で、容姿で、体格で、その環境で生きてきたら」「どう感じる? どんな表情、どんな所作が出る? どう話してどう行動する?」とイメージしてみる……というのを適宜いろんなキャラにやっていく。

     ……書いてみると割と普通のことですね。皆さんも無意識にやっていると思います。
     余談ですが、二次創作でこれをやるとすっごい楽しいです(笑)。
     某競走馬擬人化ゲームの二次創作で、明るいナルシストのキャラの話を書いたことがあるんですが。
    その子の目から世界を見るので……もう見るもの全てが美しい(笑)。美しい世界! そしてもっと美しいボク! 友の辛辣なツッコミも機知に富んだエスプリとして受け入れる余裕のあるボク! そんなエスプリを投げかけることのできる賢い友! という感じで……全てを肯定的に見るという新鮮な体験ができました(笑)。
    ……その話の中でやったことは「ちょっと走ってジュースを飲む」とか「皆で非常袋を作る」とかでしたが。それなのに全てが美しく見える……キャラクターの持つ力は偉大だなあ、と思います。


  • (A13)
     それはもちろん、作中で明かされていきます! すごい重要人物です! 
     ……なので、ここでネタバレなしにお答えできる内容があまりありません!(笑)
     とりあえず『草抜きとかボランティア活動に日々精を出してる快活で人なつっこい黒幕(なのか)』という変な奴になるとは自分でも思っていませんでした。珍しいキャラに書けたと思います。

     とりあえず、イメージというか一つのコンセプトとしては『なんか許されちゃう人(なのに有能)』という感じです。

     いますよね、何かやらかしても「お前かよ、しょうがねえな」でサッと許されちゃう人。で、そういう人って割とぽややんとした人が多い(失礼)イメージですけど……紫苑の場合は許されてなおかつリーダーシップを取れる人、という。

    「僕が悪かったんだ! 本当にすまなかった!」って謝って許される
      ↓
    ニッコリ笑って、すぐに「さあ皆、こうしちゃいられない! 気持ちを切り替えていこう!」とか言い出して、皆もそれに流されちゃう……という。
     なんか許される笑顔を持った人、というイメージです。あと残念なイケメン(笑)。

     余談ですが、このキャラを書くに当たってイメージしているのが漫画『テラフォーマーズ』のジョセフ・G・ニュートンというキャラです。
     最初からこのキャラを意識して書いたわけではないのですが。途中からこの漫画を知って、紫苑に(顔のイメージやキャラ性が)近く感じたので、以降はちょっと意識しています。
     「残念なイケメン」「美形なのに笑顔がマヌケ(というか人なつっこい感じ)」な雰囲気を似せていけたらと思っています。
     ちなみにジョセフは『テラフォーマーズ』での私の推しキャラでもありますが……同作は「強そうに出てきた仲間が1コマでやられたり」「裏切ってたり」「やっぱり裏切ってなかったり」「とにかく人がバタバタ死ぬジャンル」なので、仲間内最強キャラという立ち位置でも全く気が抜けません(……)。


  • (A14)
     ……この質問が一番難しいです(笑)。

     拙作を読んでいただいた皆さん、本当にありがとうございます! 楽しんでいただけていると嬉しいです! 

     まだ読んでいないけどこの企画を読み進めてなんとなくここまで来られた方(そっちの方が多いのでは……)、ぜひ一度ご覧になって下さい! 

     掌編、短編、中編、長編、文学、時代物、落語風、漫才風、剣戟格闘、現代ドラマ、伝奇バトルコメディ、ハイファンタジー、ゾンビがカンフーで戦うやつ(?)、極悪サンタが悪党を撃ちまくる西部劇(??)、小説を不当に叩かれたことがある方のためのホラー(???)、普通に随筆……割と色んなジャンルで書いているので、一つぐらい琴線に触れるものがある……と嬉しいです。

     この企画内でも色々といらんことを書きましたが(……)楽しんでいただければ幸いです。
     個人的には『影響を受けた作家』について書くのが楽しかったです。
     あと『かもす仏議の四天王』の怪仏の話なんかはもっと詳しくお話ししたかったんですが……本当に長くなるので……。

     とりあえず今後は、現在掲載中の長編伝奇バトルコメディ『かもす仏議の四天王』を、完結に向けて書いていきます! 
     並行して書いてる別の中編も、近いうちにお見せできるかと思います。今度はBLやるぞBL! 文学で! 

  •  とりあえず回答はこんな感じです。
     質問追加があればまた書いて下さい。

     ただ、近況ノートの方にも書きますが……視覚神経過敏で、パソコンやスマホがまぶしくて見られない状態が数日続いていました。
     特に大事ないとのことで、今は落ち着いていますが、しばらくネット(特にスマホ)から離れようと思います。
     なので、こちらのサイトに触れる機会が減るとは思いますが、この質問企画は優先的にチェックしておきますので、質問追記していただいて大丈夫です。
     自作投稿は予約投稿分と書き溜めもあるので、様子を見ながら続けていける予定です。
  •  すみません、『影響を受けた作家』にこれだけ追記をお願いします。


    (A7 追記)
     広い意味で『影響を受けた作家』としては、実はもう一人挙げねばなりません。
     小説家ではなく漫画家、島本和彦先生。そして同先生の描かれた傑作『吼えろペン』シリーズの主人公である漫画家、|炎尾《ほのお》|燃《もゆる》先生です。

     技術うんぬんではなく! 創作者としての生き様、そして戦い方を学ばせていただきました! 
     細かい説明は省いて、作中の熱い名ゼリフを引用させていただきます。


    「あえて……寝るっ!!」(締め切りを目前にしながら体力も気力も湧かないときに)

    「あえて遊びに行くぞっ!!!」(締め切りを目前に以下同文)

    「おれなら少なくとも、3回に1回いいものができたら……天に感謝だ!!」
    「3回ともいいものを出そうなんて欲張りは――おれが許しても天が許さん!!」
    「駄作か!? と思っても、出してみたらそうでないときもある! もちろん正真正銘の駄作のときもあるが――」
    「(駄作を出したら自分が一番苦しむことになるのでは?)当たり前だ!! だから次は外さんようにとあがく!!」
    「キミに足りないのは勇気だ! 駄作を作る勇気だ!!」(クオリティにこだわり過ぎて新作を出せないでいる創作者に対して)

    「――オレは今……限界にある! 体力的にも……精神的にも最低だ……フラフラだ……」
    「――だがマンガ家は……そんなときに……そしてそんな状況でも『やらねばならん』と思い決意するとき! おうおうにして|啓示《インスピレーション》に打たれるようにできている!」
    「そんなときにかぎっていいアイデアが……自分で思いもよらなかったいいアイデアが与えられたりもする! ――感覚が異常に研ぎ澄まされ……普段感じなかったものまで、感じられるようになるのだ!!」(締め切り直前に命を狙われ、放たれた銃弾をかわした後で殺し屋に一言……いやこれどういうマンガ? ねえどういうマンガ!?)


     ……まさに至言。どれもが創作者としての勇気と覚悟の結晶ともいえる、胸に刻んでおきたい名言です。
     その中でも、常に覚えておきたい一言はやはりこれ! 

    「うむっ……!! いつ読んでも、自分の描いたマンガは最高だ!!」
    (ちなみにこのシーンで読んでいたのは本人の作品ではなく、炎尾先生から作風とペンネームをパクった偽者が描いた作品でしたが……いや、だからどういうマンガなんだよこれ!)

  • りょです。そろそろまとめに入ります。が、まだ、ジョジョ絵を練習していない……。
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する