このノートは、すぐ消してしまうかもしれません。
とある方に、とどけばいいなって思って書いています。
わたしは、アホだし、我が儘で、協調性もなく、思いやりに欠けていて、ひとの気持ちを推察することも苦手で、だれかがわたしを好きっていってくれても、それを信じることができなくて、そのことばの裏の理由を探してしまう、それでいて寂しがりで、自尊心もちゃっかりとあって、もう救いようもない、ほんもののアホ。
アホだから、わからないのです。
わたしがゆいいつ、絶対に自信があるものが、現実にここにあることを、どうやってあの方に証明すればいいのかが。
わたしはおはなしを書くときに泣ける場面が降りたらかけるって、ひんぱんに繰り返してるからもう、いまさらくどいけど、でもそれは事実で、その泣ける気持ちの正体をちゃんといえば、救い、なんだよね。
ほらほら、救いとか、やっすい言葉をつかって。
わたしは、だからいったじゃない。アホなんだって。
わからないの、どうしていいのか。
救いは、ある。
ここに、いま、ただちに、ここに。
なにか条件が満たされるからじゃない。
なにか立派なことをするからじゃない。
針の先にふれれば血がでるように、すべてのいのちが確実に絶対に、おわりを迎えるように。
ぜんぶ、ひとつの、ちいさいちいさい、ひかりだから。
そのなかに、わたしもいるし、あなたもいる。
絶対、ぜったいに失わない、失うことができないものが、そこにあるから。
口にだしてならないことなんてない。
わるい思いなんてない。
犯してはならない罪は、どんな存在でも、ほんらい犯せないようになってる。
だからそういうおもいを、口にだして、態度にだして、暴れて、そうすると間違いなく、自分自身がつらくなる。わたしもそう。
でも、それでもいい。やっちゃおう。辛くなるって分かってるのにやるほうが悪い、っていうやつには言わせておこう。
わたしは、アホだから。
どんなひとでも、後ろにアホのわたしがいるから。それよりは立派だから。
いやなことばっかりだよね。
いいこともあるけど、いやなこと、多くて、そればっかり目につくよね。
いろんな工夫と努力をして、みないこととして、それでも目について、そのことがまた、努力不足だ、じぶんはだめだ、ってなるよね。
そうだよ。
だめなんだよ。
あなたも、わたしも、家族も、ひとびとも、どんな生物も、どんな存在も、ぜんぶだめ。あやふやで、ゆらゆらで、ほんらい存在しないほうが安定している。
ほんとうの完全は、無、だから。
無の対照に、わたしたちは、置かれているのだから。
絶対に、ここにあるから。
わたしはアホだから、あいしてる、ってことばでしか、表現できない。