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サポーター制度について思うこと ※否定的意見ではありません

そもそもこれはどういう制度なのか、っていう疑問があったのですが、夫婦の会話の話題にしてみたら、自分のなかではっきり位置づけできました。誰かに説明しようとすると理解できるようになるものですね。

実は、私の奥さんはこの制度についての私の説明を最初は「さっぱり判らない」と言い放ったのですが、それは彼女があまりオタク要素を持っていないために、「推し」というガイネンに馴染みがないから、だったんですね。

私は「推し」を持つことに対しては、リアルを壊さなければ、いくらでもヤるべし、と思っています。その人の生きる理由になるからです。しかし、自分がその関係を実際に持つのはどうよ、と思っています。

そりゃ、誰かが私を「推し」てくれたら悪い気はしないと思うし、それでリアルマネーをゲットできたら嬉しいとは思うんですけど、一方でそれを危険なプレッシャーと感じてしまうのではないか、という恐れも持っているんですよね。鬱サバイバーであり、かつて過酷なゲームの仕事の経験者でもある私は。

まあ実際に「推し」てもらったらあっさり意見も変わる可能性はあります。
体重は重いけど人間は軽いから!
たぶんそんなことは起きないけどね!

これが会社や奥さんからの「推し」なら、顔が見えるし継続性も見込まれるから、健全なプレッシャーとして受け取ることはできるんですけどね。

いっぽう、私が誰かや何かを「推し」にすることについては、対象がプロ(商品)かアマ(投稿やボランティア)かでまったく違います。プロにはカネを出したいと思うし、自分は買ってるのにそれが無くなったらムカつきます。プロが商品に責任(説明責任・安全責任・継続努力の責任)を持っていなかったらムカつきます。ただし買ってなくてそれが無くなったら、そのことに消費者としての責任を感じます。

私は拙作「俺のカクヨム」にて、フリー投稿サイトであっても広告収入の一助たる投稿者は、サイトの継続という収入を得ている広義のプロと言える、という持論を展開しています。が、だからと言ってアマにプロ意識(責任)を持て、と言うつもりはありません。プロの誇りは娯楽として持ってもよい、と思いますが。

かつて私は、とある投稿者がパクりをしているのではないか、という憤りから、行き過ぎた粘着をして、運営より警告を受けました。奥さんからも叱られました。フリー投稿サイトはそういうものだ、という意識に欠けていたのです。恥ずかしい。今でも少しカン違いするときもあります。

アマには自由があります。書かない自由、完結させない自由、応援しない自由、交流しない自由などです。他の人はどうだか知りませんが、その自由の権利を侵していい、とは今の私には思えません。さらに、かつて間違いを犯した私には、がんばれと言う言葉を素直に受け取れない鬱だった私には、明らかにプロ意識を持っていない(引退を表明しているプロや、アマとして参加してるプロも含めて)アマのかたがたを、プロと同じくリアルマネーによって「推し」にするのは、ちょっと抵抗があるのですよ。

だからたぶん、私はサポ制度を利用しません。もちろん、これは私の偏った経歴と自我によるものであり、一般的な意見としては、この制度はあってもいいんじゃないか、と思います。

まあこんな私でも、親しい関係で「推し」てくれ、と頼まれたらあっさり意見が変わる可能性はあります。
体重は重いけど人間は軽いから!
たぶんそんなことは起きないけどね!

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