どうもどうも、今日も今日とて不審者が夕刻の部屋よりお送りしております。今回(?)のテーマはタイトルにもある通りですね、執筆が楽しすぎるっ!!っていう話であります。
折角ですし、自分がこんなネットの片隅に流れ着いて駄文をうpするようになった経緯でも話しますかね。興味がないっていう方はまあさっさと飛ばすかブラウザバックしてください。
時計の針を2020年まで戻しましょう。当時自分は中学二年生で…中二…厨二? そう、絶賛厨二病を発症中なのであります。実は今も慢性的に拗らせてますけどね……。この時期からですね、自分の脳内で物語を作るようになったのは。内容は文字に起こしていないのでよく分からないです。まあ見返して辛い思いをしなくて済むんで残ってなかったのは幸運なんですが。
それから三年生になってようやく考えた話の設定や粗筋を文字に起こすようになりました。正直躊躇ったままでいて欲しかったです。
内容としては、無機物や他生物を取り込んで身体を強化する戦闘モノを構想してました。他には架空世界の架空戦記とか。いずれもお痛がすぎるためお蔵入りになりましたが、どんな内容であれ自分の起源には変わりないんで、まあ大人しくこれが最初ってことで受け入れようと思います。
プロットらしきものを発掘して読んでみたのですが、それはもう痛すぎる(呪文がネーミングが云々以前に中学生的な香ばしさが濃厚すぎる)し、そういうのを描けば子供っぽくならないって勘違いしていたのか、変にグロいシーンを出したがるもんで、我ながら吐き気催しましたね。もう二度と開きません、ハイ。
んでこれらはメモアプリの片隅に埃を被って今の今まで放置されっぱなしな訳なんですが、つい最近になって自分の書き手としての魂に再び火がつきました。それがだいたい2か月くらい前のことでしたっけ。
それから1か月半くらいはひたすら構想を練って設定を作ってました。その中でボツになった案は数知れず……。もし次作以降があったならそこで有効活用できたんでしょうけど、そもそも自分は小説家志望でもなんでもないんで、紫電を最後に執筆はひと段落つけるつもりでいます。
今の自分は1か月前の自分にこう言ってやりたいです。お前なぜ本編を1文字も書こうとしないんだ? アホか? と。今回のテーマにも繋がって来るんすけど、自分の物語を紡ぐのは本当に楽しくてですね。散々考えた挙句ボツになった案があるんですけど、それの代替案をひょんなことからロクに構想せずに書き出したら予想の1億倍筆が進んだんですよ。それで時間を無駄にしたような気分になったんです。
まあこんな風に紆余曲折あって紫電シリーズを投稿している訳ですね。
続いて本題(ようやくかよ……)。執筆の楽しさを語っていきますかね。語るってったってそんなに難しい話じゃないんですが。
移り変わる場面場面で言葉の順序や表現方法、語彙を選択していく、これが本当に奥深いもので。ざっくり伝えるだけなら意外と簡単なんですけど、完璧に、あるいは美しくとなると中々思うようにはいかない。そんな中で如何に記号を組み合わせ、読んだ人間に自分の脳内を再現していくか……。
それからこれはしがない持論なんですが、”書くこと自体は簡単”なのがミソだと思うんですよね。絵はマトモなものを描くには相当な熟練が要求されてしまいますし、動画も同様です。さらに例え熟練者でも、個人での制作だと脳内に対して出力できるアイディアが限られる節があって。
その点文章という媒体はすごく便利です。基本的に映像情報が読み手の脳内に依存しているんで、その事象を直接描かずともそれを表す記号の羅列を配置さえすればいいんですから。林檎一つとってもじっくり描かなきゃならない画像・映像と比べて、こちらは林檎っていう文字を置きさえすればあとは読者が勝手に想像してくれますし、その様子が常識的に連想されるものでないなら、それに応じて形容する記号を加え、カスタマイズすればよいんです。
まあ、弱点でもありますけどね。的確に読んだ人間の脳内をシュミレートしなければ思い通りには伝わりませんし、文章という形態だからこそできる含みの持たせ方や芸術性というのもありますが、その上でもどうしても映像媒体との間には越えられない壁があります。少なくともド素人の自分はそう思ってます。
ともかく、自分はこの思いついた物語をすらすらと形にできる、小説という表現形態の”スピーディーさ”に惹かれている、と自分を分析しています。書いてる時は何も意識してなかったんで、本当に今分析したことですね。
そんな感じで、今回は以上っすね。ありがとうございました。