おはようございます。
フィン感で読みやすさの相性的なものがある、だったかな? 言われてましたね。自作に欠けてるのは、『K.618』に限らず、(多分、文章と内容は直ぐ理解しやすい部類だと思いますが)なんかこう私が文章にしている根源に、薄暗い……後ろ暗いものから出来ているのが漏れ出ていたりするのかな〜〜なんて、『K.618』の登場人物たちにも作者と似かよったものが知らずにあって、それが腐臭を放っているように察知されたら嫌だなぁなんて)フィン感で技巧的と言われてたのは、私自身が隠そう隠そうとしていた足掻きが見つかってしまったのかも? とか……いや、考え過ぎか。
作品から作者を想像することって、ありますか?
読む側の私だとあるんですが……それが想像に過ぎない(精度も信用も低いことは重々承知の上)ことは解っています。
書いてる側としては、出ていないよな? という不安は瞬間的にあります。(リア友に読まれたくない心境はこれ)認知の末席に居ることを直ぐ思い出して、安心するんですけどね。
開いてくれて、本当にありがとうございます。
K.618|連休|小説
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