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犯罪者は神を求めるか?

ある意味で、
また、ごく一部かも知れないが、

「犯罪者も神を求めている」

イエスが、「私は罪人を招くために来た」と告げた言葉は深い意味を持っている。

当初、神を求めたが反応も無く、思い余って道を逸れた人間がいるとすれば、それを喜ぶのは「鬼」である。

神じゃない。

鬼は何とかその人を犯罪者にしようと嘘を教える。

「ほら、これが神の名だ」
「反応が無い?」
「だから、神などいないんだよ」

「進化論という話があるぞ」
「この道を歩め」
「どうだ? 強い者が勝つ」
「お前も狡猾さを身に着けろ」

鬼は嘘をバラ撒いて『犯罪者』を育てる。

また、正義の道を思い切り細くして「はみ出す者」を「犯罪者」と呼ぶ。

「お前は一歩、はみ出したぞ」
「死刑にする!」

こうした犯罪者を、「鬼のような正義漢」が量産し、鬼に捧げている。

つまり、「『犯罪者』の味方として御子が来た」…とは、鬼の心理に理解を持つ人なら解る話だ。

ならば、「井の神」に願うなら思い通りになるのだろうか?

過去と違う波動に移った気はするが、トマスの境遇と五十歩百歩。

(まだ修行不足)

不完全を罪(チューンミス)というのなら、中途半端な『犯罪者』は、本当に神を求める。

御子による哀れみの支配を。

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