考えてみれば、福音書の記述で「嵐を呼んだイエス」など存在しない。
→ イエスは嵐を静めた
それだけである。
ならば、「神風」を呼んだのはどの神だったのか?
風神という存在は、イエスからの太陽熱を奪ってしまうだろう。
涼しいかも知れないが。
冷え過ぎは血流を阻害し、病に落ちる可能性を秘めている。
イエスと神風は整合しない。
子供のような疑問だが、それを解決しないと迷ったままになってしまう。
御子は神輿で象徴されるが、それは「担がれる存在」でもある。
「人を担ぐ」という表現が、都合よく利用する…といったマイナスイメージであるのは否めない。
人の名を使ってクレジットカードから騙し取る詐欺師も多いのだ。
選民が御輿を担いで勝利したという部分ではなく、「イエスならこれをやるか?」という視点の方が正確な答えを出すだろう。
誰が嵐を呼んだのか?
元寇の時、船と共に沈んだ捕虜はいなかったのか?
「神風特攻」と共に、考えるべき事柄であろうと思う。