「目をえぐり出して捨てよ」?
日本人だけ、この深意が理解出来る。
【新共同訳】
Matt.18:9 もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。両方の目がそろったまま火の地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても命にあずかる方がよい。」
ヒントはこれだ。
【バルバロ訳】
Matt.18:9 もし芽が罪をつくる機会となるなら抜き出して捨てよ。片目で命に入るほうが両目あって火のゲヘナに投げ込まれるよりもよい。
「芽」の部分は誤訳かも知れないが、お蔭でヒントになった。
→ 「目」=「芽」
日本語環境に生きる日本人だけに、イエスの話の深意が伝わる状況になっている。
もし異邦人なら、文字通り受け取り、こう思ったかも知れない。
「目をくり抜けだって?」
「なんと酷い話だ」
大きな誤解の影響を受ける可能性も生じて来る。
しかし、こうした表現を使わねば、イエスの言葉は「二枚目社会」を生き残れなかった。
※ 特に、アメリカ紙幣に印刷されていたピラミッドの片目は、暗い影を世界に落とし、間違った見解をもたらす病みの芽であった。「これを捨てよ」との意味もあるのだろう。
福音書はあの表現だからこそ、異邦人(世の神)が支配する環境を擦り抜けて我々に伝えられたのだ。
日本人はその意味で、有利な立場を授かっている。
資料:
聖書原典から神のことばを学ぶ
日本学生宣教会 細き聲
http://smallvoice.la.coocan.jp/wp/2021/08/15/matthew1809/