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城の森にて エミリー・ブロンテの詩について

 エミリー・ブロンテ(EMILY-JANE-BRONTE1818年~1848年)は、言わずと知れた世界的名作『嵐が丘』の作者です。彼女はの30年の生涯をイギリスのハワースという片田肉で過ごしました。ハワースはロンドンから北へ特急で4時間、今ではブロンテ制妹のおかげでたくさんの観光客が訪れ、いろいろな店が立ち並んでいますが、それでもまだ本当の田舎町です。
 彼女が生涯に残した小説は『嵐が丘』ひとつだけだったのですが、放女はそれ以外にかなりの数の詩を残しています。それらはあまり知られてはいませんが、中にはすばらしい作品がたくさん含まれています。
 彼女の詩を理解するには、重要なポイントがありますので、それについて簡単に
解設しておきます。
 エミリーは子どものころから、兄や姉妹との人形遊びの延長として「ゴンダル国の物語」を胸の中に育んでいました。さまざまな登場人物の間のさまざまな事件を空想して、ときおりは何かに書きとめたりもしていました。いずれ機会があれば文章にするつもりでいたということは大いにありうることですが、そういう「結果」は別にして.とにかく、彼女は彼女の空想がそこでは自由に生きられる世界に子どものころからずっとなじんできて、冷たくあじけない現実よりも、彼女にとっては、ずっといきいきしたリアリティを持った世界を、頭の中に持って生きていたのです。
 彼女の詩を理解する上で非常に重要なことは、彼女の詩はそのほとんどが(少なくとも表面上は)「ゴンダル」であるということ、すなわち、ゴンダル国での物語をもとに、そこで起きた事件を扱ったもの、あるいは、その登場人物の心情を詩ったものとなっていることです。ですから、どの詩についても、それが彼女自身の状況や心情をうたったものであると見なすことは、非常に危険です。どの詩についても、その根底にあるバッションは間違いなく彼女自身のものです。しかし、バッションを自分自身のこととしてうたうより、ゴンダルの世界という器に盛る方がいろいろな意味で好都合だったということは容易に想像がつきます。なによりも、表現の遺具立てが自由ですし、パッションをより純化した形で表現できます。
 彼女の詩を読む時は、このことを念頭に置くと,ずっと理解しやすくなります。たとえば、詩のタイトル「城の森」というのは、おそらく、ゴンダル国の城のことだと想像できるわけです。当然、表面上は、登場人物の気持ちを詩にしたものなのです。が、額田河合はこの詩を読んだときに、まるで私のための詩だと思ったことも事実です。

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