読む読む修行で古典名作に挑戦していますが、なぜこれまであまり読まずに来たのかと言えば、そこに描かれる「男性目線の女性像」に反発と戸惑いがあるから、と再読で気づきました。
皆さんには、そういうこと、ないですか?
明治の文豪たちの描く女性は、妻や姉妹の家族、娼婦、憧れのマドンナ、意味不明な狂人、等々ですが、どれも少なからず違和感があって、親近感が湧くことはあまりないのです。
さらに大正、昭和初期の作品でも、どこかに男の身勝手さや、勝手な女性への思い込みを強く感じて、読みながら「てめえ、いい加減にしろよ!」(お下品ですみませんm(__)m)と叫びたくなるような時もあります。
いまの時代だって、「女性なら誰でも喜ぶダイヤモンド!」なんてCMあると「馬鹿野郎、十羽ひとからげにすんな!」と心の中で叫んでいるので、時代背景とか時代特有の観念だけが理由ではないと思うのですが、読むたびにこれでは、ほんとに疲れてしまいます。
もっと、文章修行なんだから、と言い聞かせて、書かれる内容にいちいち反応しなければよいのでしょうか、ねえ?
それだけ文章が上手くてつい反応してしまう・感情移入してしまうということなんでしょうか。
というわけで、古典的名作を読んでいくことに意外なハードルが自身の心の中にあったという、ただの愚痴です、すみません。