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覚悟しようと決める、とりあえず

現在エッセイジャンルにしてある2本『謂れない~』と『パクられた~』については、いろいろ悩みましたが、
やはり一度アップした以上は、覚悟を決めて 当面は公開状態を続けようと思います。
ご心配下さって近況ノートにメッセージ残してくださった方、ツイッターで声掛けて下さった方、すみません、そして有難うございました。

そうは言っても、「とりあえず」なんて単語を覚悟の後につけてしまうチキン野郎なんですけど、それでも、公開し続けることで様々貴重なご意見や示唆を頂けること、そして少しでも癒される人が居るなら(たとえ一人でも。数の問題じゃない気がしている)、残しておこうと思いました。

一番恐れたのは、特に2作目の場合は、ふさがり掛けた傷をさらにこじ開けたり塩を掛けたりしちゃうことがないだろうか、という点でした。
私の表現力や語彙力の拙さ、言葉足らずがそれを引き起こさないだろうか、と。
それはあくまで 読み手の問題だ、と切り離すことも必要かもしれませんが、あれを書いたそもそもの趣旨に鑑み、自らエッセイに籠めた想いや願いを踏まえると、書いた私の側の責任も非常に大きいとどうしても思ってしまいます。

そんなこんなで、お騒がせしてすみませんでした。
ですが、お陰様で久々に、なぜ自分は書くのかという原点に立ち返って深く思考する機会となりました。
こんな奴ですが、カクヨム仲間の皆様におかれましては、
これからもお見捨てなく、仲良くして下さると幸いです。
m(__)m

2件のコメント

  •  私個人の意見ではありますが、あの記事は公開するべきだと感じております。矛盾するとお考えになるかも知れませんが、何事もバランスがあり、私が危惧するのは許す意見が大勢を占めてしまう事なのです。許す気持ちを持つことも正しい、許さないことも正しい、正しくないのはそれが全体の意見を成す事ではないでしょうか。個人の判断は、全体の判断になってはいけないのです。
     許すことが正しいとなれば、許せない者は立つ瀬がないし、許さないことが正しいとなれば、許したい者は救われませんから。
     両方の意見がある事が望ましい、と私は考えているのです。

     誤解をしてしまった件、あの作品に一つ付け足しをして欲しいのですが、一言、筆者様自身もかつて被害にあったのだと告白してくだされば、個人の意見になると思います。
     被害経験もない者の意見は、全体の理想として掲げられてしまいがちです。それこそが危険な事だと思うのです。だから、私はそういった無責任な理想主義は嫌いなのです。
     関係のない者が口を出すな、という言葉は不条理ですが、真理ですし、だからこそ関係ない者が口を出す手段として、創作というものが発達したのだろうとも思うのです。

     差し出がましく、また、偉そうな事を書いてしまいましたが、あの記事を非公開にする事はあの記事が救いとなる人の損失ですので、どうか御一考くださいますよう。
     何度もこちらのホームへお越し頂きました事も、重ねてお礼申し上げます。お気遣い有難う御座いました。(すごく堅苦しくなってしまいました、これもちょっとしたカクヨムの問題点ですねぇ)
  • まめ太様 
    何度も有難うございます。
    そのお人柄と優しさに涙が出ます。
    私は一度たりとも「許せ」とは書いていない、しかしそう読めてしまう、ということは、すべては書き手である私の力量の問題です。詳細はそちらに伺いますね、有難うございました。
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