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『第1回 角川武蔵野文学賞』反省会

2020.08.12


8月5日締切だった『第1回 角川武蔵野文学賞』について振り返り、思うところをつらつらと書いていきたいと思います。いわゆる一人反省会ですw
長くなったので、暇な人か興味のある人だけ読んでください。


●キャッチコピーに『武蔵野』を入れるとわかりやすい

締切を過ぎてからになってしまいましたが、同じ賞に参加されている方の作品をいくつか拝読させていただきました。
そのときに感じたのは、「キャッチコピーか作品タイトルに『武蔵野』の文字が含まれている方が好ましい」ということです。一目でその賞に参加しているとわかりますからね。

カクヨムでは作品タイトルよりキャッチコピーの方が大きく表示されるので、後者に入れたほうがより良いでしょうね。
私の作品にも偶然入っていましたが、文字が多すぎて目立たない……。
やはりキャッチコピーは2行(24文字)くらいがいいでしょうね。つい長くなりがちなので、今後の課題です。

また、キャッチコピーに【角川武蔵野文学賞参加(応募)作品】と入れている人はうまいなと思いました。それだけで目立ちますものね。わかりやすさ、大事です。


●規定は守りましょうね

いくつかの作品を見て気になったのが、規定の文字数をオーバーしている作品がちらほらあるんですよね。
中身はきちんと武蔵野を題材にした作品で、文字数以外は問題がなさそうだったので、もったいない……。

ここで規定を振り返ってみましょう。
「800字以上4000字以下」だそうです。意外と短い!

もちろん、数万字にも及ぶ連載作品にタグをつけている人は論外です。
明らかに賞へ参加するつもりはなく、単に自分の作品を目立たせるためだけにつけているのがはっきりとわかります。そういう人たちは、正確なランキングを阻害しているという迷惑行為により規約違反になるのではと思うのですが……。

あと、やりがちなのが「連載中」のまま応募してしまうこと。
一度KACでやりかけて慌てて直したことがありましたが、あれは心臓に悪かった。大いなる反省点です。
「完結」にチェックを入れるの、とてもとても大事。


●ちゃんと『武蔵野』にまつわる話になっているか?

「この作品は、武蔵野が舞台でなくてもいいのでは?」
と思うような作品が、いくつか見受けられました。

地名をそっくり入れ替えても成立してしまうような作品は(今後も賞が続いていけば受賞することもあるかもしれませんが、少なくとも記念すべき第一回では)受賞しにくいかもしれませんね。使い回しの履歴書みたいなもんです。

また、個人的には今回の賞へ応募するにあたり、国木田独歩・著『武蔵野』の履修は必須というか最低限の礼儀だと思っていました。青空文庫で読めますしね。

しかし、中には「これ何も調べずに書いたな」と伝わってくる作品もありました。
案外そういうのってわかるものですね。私にもわかるくらいだから、審査員の人はきっと気付くのではないでしょうか。
今後もし他の賞に応募する場合でも、充分に気をつけるべき点だと思いました。

ちなみに私は武蔵野についてほとんど何も知らなかったので、めっちゃ調べました。
詳しくは以前の近況報告で書かせていただきましたので、こちらでは省略します。
https://kakuyomu.jp/users/haruka_s/news/1177354054918243150


●審査員の人物像に迫る

『角川武蔵野文学賞』の審査員については、このように書かれていました。
(応募要項:https://kakuyomu.jp/contests/musashino_bungaku/detail

   赤坂憲雄 (民俗学者)
   角川文化振興財団「武蔵野樹林」編集部

赤坂憲雄氏について調べたところ、東北地方を主に研究されている方のようです(Wikiより)。
なぜ東北地方を研究されている方が武蔵野にまつわる文学賞の審査を? と少し不思議に思いますが、著作も数冊あるので文章については慣れ親しんでいる方だと思います。

ただ、今回の文学賞で求められているのが、実は「小説という虚構」ではなく「武蔵野の民俗を描いた限りなくノンフィクションに近いもの」なのかも、と考えてしまいました。

しかし、本当に武蔵野の文化や風習を知りたいのであれば、そちらに住まう方限定で情報収集したほうが効率的なはずで、わざわざカクヨムで募集しているということはやはり「創作」を求めていると考えていいのか……。うーん。

これについては受賞作を見てみないと何とも言えませんね。


また、『武蔵野樹林』についても調べてみました。
こちらは定価1,056円もする立派な雑誌のようです。(※vol.4 2020夏号)

タウン誌だとか、素人が編集した会員向けの薄い冊子だとか、そういうのではないので、きちんと文章を(おそらく文学も)わかっておられる方が選考に携わっていると推測します。

それだけに、何やらレベルの高いもの、それこそ国木田独歩先生レベルのものを期待されているのではないかと、ちょっとドキドキします。


こういったことをあれこれ考えてみたわけですが、次回の応募に活かせる点は活かし、今後も「どのような作品が求められているのか?」を熟考する癖をつけていきたいと思います。


最後が作文みたいになったw


【追記】

●文学とは何ぞや? その原点に立つ(たぶん)

そういえば今回の賞では『文学』という言葉にも悩まされました。
それというのも、時代を経るごとに『文学』のイメージが変わってきていると感じるからです。

わかりやすいのは書店における面積です。
かつては店にあるすべての本を『文学』と呼べた時代もあるでしょう。
ところが今は、文具や雑誌や実用書が幅を利かせ(もちろんそういったものを眺めるのも楽しいですが)、まさしく『文学』と呼べる本は片隅に追いやられているのではないでしょうか。

また、広義の『文学』と狭義の『文学』でも大きく違うでしょう。
私は「スレッド文学」と呼ばれるものも好きなのですが、「あんなものは文学ではない」と言う人もいるでしょうね。

高尚か、低俗か。
そういった線引きは、昔よりも今の時代の方が色濃いのかもしれません。
たとえば夏目漱石の『吾輩は猫である』や『坊ちゃん』などは誰もが『文学』だと言うでしょう。
でも、今の時代に現代文で同じストーリーの本が出版されれば、それは『エッセイ』や『エンタメ』として扱われるような気がします。

そういった流れがある中で、今この時代に『角川武蔵野文学賞』は『文学』という言葉をどういうつもりで使っているのか。
たとえば『芥川賞』や『直木賞』ならこれまでの実績があるため、選ばれる作品の傾向がなんとなくとわかります。

しかし、今回は令和に新設された真新しい賞。
あまつさえ角川武蔵野ミュージアムの中にはアニメやラノベといった資料も収められているのです。
賞の名前は仰々しいですが(笑)、もしかしたら案外ポップな賞になるのかもしれませんね。

というわけで、第2回以降の賞の動きにも注目していきたいと感じました。

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