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創作メモ・3・いじめ遊戯と悪霊

やっているようで一見何もしていないいじめ遊戯というのは女性器的性欲を達成させるものである。(女性器的性欲を否定しているわけではまったく無い)私がこれに初めて遭遇させられたのは多分5歳くらいだったと思う。女同士のいびり合いとそれを視姦する男。往々にして暴力はセックスの挿げ替えだと言われるものだが、本当にそうだ。多分このオルガズムを愛する人は、仮想の現実の中に生きていて、生涯自分の本当の仕事を見出すことはあり得ないのだろう。一種の不幸と言われれば確かにそうかもしれない。しかし真実には、周囲の不幸である。だから群れを成すしかないのだろう。時々の多数派で有り続けること。 全ては不毛であり、無意味だ。自分より秀でた人が居て、自分を侵す本当の汚らわしさに気が付きそうになれば、目をつぶし耳を破き手や足をもげばいい。そういう風な現実でしか生きたくない。 悪霊。映画は酷く、イマイチであった。全てが濃厚なフォン・ド・ヴォーのような映画。残虐と軽薄の連続のさなかで、一瞬さすひかりのような純粋さは、白痴に宿れど愛がその人を愚か至らしめただけであったりした。いわく、白痴とは人の愚かさの総称なのかも知れないとすら思った。無我の愛と言う言葉も確かにある。一貫していたのはスタヴローギンと何人かの良心だけ。悪と善良さにはいつも通ずるところが有って、全く真逆だ。一瞬の、優しく柔らかな閃光のようなイノセント。(愛ゆえのおろかさ 万人の白痴領域)残忍な白痴は白痴では無く悪人である。


ものをつくること、自分の世界に没頭していなければ私は生きられない。この世界だけが私を孤独で、自由にしてくれる。限りなく無償に近い愛情も。

嘘をつき続けることやごまかしが救えない傷になっていく 世俗の人は儚くて、あなたは善い人です。



わたしは自分の言葉が優しく明るくなるのを熱望してる。人を誰かがわたしにそうしたように、切りつけなくなる日を。

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