タイトルのような言葉。後ろ向きな意味で使われると今の自分は無視していいと思う。
以前はその言葉こそ神みたいな扱いで信仰していたんだけど、そもそも自分は世の中を見る主体的な「道具」として意味を持っているんだから、それが判断したものが間違っていると言われても、それは言った方の判断した世界。自分の物とは違う。それに、その言葉は本当ではない。私は自分をいつも低く見ている。それこそ最底辺に。それが普通の状態だ。その言葉を信じてしまえばもう潰れるしかない。
前向きな意味で使われた場合…
ちょっと自己評価が低すぎたかな…そう思ってもいいと思う。
発する言葉が前向きなのは評価が低すぎる自分の心を何とか上げていくため。
評価が低いのは仕方がない。まず言葉を発するとうまく表現できない。
人に理解されない事が多い。
歪んだ認識で面倒を見られることも多々ある。
自己評価が低いなら、自分に向けて評価を上げるべく褒める言葉を書ける勇気も必要だし、思ったことを言っても馬鹿にされたらどうしようと思うなら、馬鹿にされてもいいから行ってみようと思う事が必要だと思う。
口だけで行動しないと言われ続けるし実際それが現実なら、それでも口だけでも開けてた方がいい。
いつ、何も言えなくなる時が来ないとも限らない…というほど切迫した状況はないのだけど、とにかく言いたいことはその場で言えばいいのだと思う。言ってはいけないと思わない限りは。
言ったら恥ずかしいとか場違いかもしれない微妙な事は、自分の欲望に任せればいいと思う。
そう言う勇気をもって言葉を発していくと、どう表現すれば伝わるのかが手っ取り早く分かる。
若いうちにやれなければ、年取ってからでも遅くはないと思う。
言えないなら文章で真っ正直に書いてみるのもいいと思うのだ。
言ってはいけない、そうハッキリ思えるものはやっぱり言わない方がいい。そういうのは試してみた方がいいとはもう思わない。痛烈な仕打ちがくるだけである。
秋のガラスの町…を最初のイメージに塗り替えて行こうと思う。
少年は自分の思い描く世界を実現していこうとする。その世界は冷たく暗い。何故そのような世界に憧れたのだろう…それは少年は今の世界を否定し続けたから。しかしその否定による冷たい、利己的な、計算高い世界構成には一定のリズムがあり、構成として美しい。少年の頭脳明晰さがスマートで美しく見える…
そんな風な世界を、視覚に訴えるように描いていけたらと思う。
少年のイメージはかの競馬場の宣伝に出てたとても色の白いメガネの青年。仮面ライダーでそれに近い役をやっていた。
あくまでも役の演じ方や存在感がイメージであり、役者本人ではない。役者に憑依した役のイメージを参考にする。
この作品はあるアマチュア作家にすごく影響を受けたのだが…作風に影響を受けただけという事がわかってもらうように書ければ成功だと思う。
贋作に見えれば失敗だ。