秋、がもうすぐ完成しそうな予感がする。
言葉の羅列が偶然連鎖反応を呼び、光を放ち始めた。
プラスチックに閉じ込められたダイヤモンドは火を付けなければ取り出されないが、火を付ければダイヤモンドは消滅してしまう。
まるで敵に見せつけておいて、失望させるかのよう。
でもゆっくり考えてみれば高温に温めればプラスチックは溶け、ダイヤモンドは残る。削っても取り戻せる。
プラスチックに封じ込めたダイヤモンド、というのは結構いい案だと思った。
ところで最近、ブラックダイヤモンドという映画を観た。
なんか、話の構成とか面白かった。
ブラックダイヤモンドがふたつの、嫌なものと素晴らしいものを指すような気がした。
あまり善悪ばかりに目を向けるとこの映画は楽しめないと思うし、善悪を打ち出してくる映画はスッキリ安心できるけど、そういう枠を取り払って人との絆を描くもの、葛藤に目を向けるもの、そういうのを見ていると色々考え直す。
映画という枠組みの中で、不自由な姿勢をしながらも見るたび心が少し柔らかくなっていく。
だから映画は好きだな。
秋、は、主語がどこにあるのか不明なところも利用している。
元々自分の文章は間違って取られることも多い。
フィクションはどう取られてもいい。
そこにノンフィクションが含まれているとしても、それが本当ではないと取られても構わない。
無責任に振る舞える部分を利用している。
その分、現実では、どのように撮られても構わない事は、嘘が含まれていてはいけないと思う。
もしそれが推測なら推測であることを書かなければ、と思う。
沢山書けば書くほど信憑性がなくなるというなら、逆にそれも利用できる。
事実であるけれど、知っておいてほしくて取るに足らないと思われるような、けれども実際は問題視される事
でも実は問題視しない方が緩和されるようなことが時々ある。
そういうのに書けば書くほど信憑性がなくなる効果というのは効く。
沢山書けば書くほど弱く見えないというのもいいところ。
何も発さなければ悪者ができる。
けれど沢山書いてれば書く方も書く方、みたいな感じになる。