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優れたものは私には作れない

色々書いて思ったのは、文章を書くにあたって自分は優れたものは書けない、という事だ。
何故なら優れたものという時点でそれは他人の目線だからだ。

自分の優れた文章を書いていかなければ。
そう思うとどうしても、正直なところが背筋をピンと伸ばし、自分は正しいと思ってしまう。

こうあらねば。そう思うと一気に何かがしぼんでいく。

なので自分に関しては思う。
気持ち悪い、得体の知れない、ギョッとするような部分を自由にしようと。

というか、すぐれた作品は他人が書くものだと思う。
幾らでも自分よりいい文章を書く人がいて、それに張り合ってても何も面白くない。
他人の秀作を養分にする読み方もなんかなぁと思う。
思う、という事は今まで自分は張り合ってきたし、養分にしようと思ってきたし、それでなんか自分がつまらない奴だなぁ。結果つまらん事考えるようになったなぁと思った。
人と自分を比べる事もよくある。
一番多かったのは、自分を他者に投影する事。

ただ、投影は悪くないと思う。
投影することによって、勝手に問題が浮かび上がってきたり、自分が求めてるものが見える。
弊害は人にとって嫌な事である事。
でも投影してる本人は全く気付かないのでなかなか防げない。

防げないのが結果的に相手からの反応となって返ってくる事があれば、むしろそれはとても良い事だと思う。
それが一つの壁を超える事にもなると思うし、双方にとっても、ただもやもやを抱えてるよりはましかもしれないが、投影してる側にとってのみいいと考えた方が良いと思う。


いつか自分でその事を理解したとき、その過去を消すのではなく、捉え方を変えていけばいいと思う。
その言葉の使い方が自分と他人では違うスタンスである事。



今、真空管の本を読んでいる。
何となく興味があったから手に取って見たけど、周波数を調整する機能を持っていたので、欲しい情報だったと思った。
電波の発生のさせ方について色々知れば、小説にいい色味を与えるかもしれない。

真空管は何でも請け負う。電圧の調整、音のボリューム、雑音の発生、音の発生、音の変質、電波の周波数の調整、熱の発生…
真空管は何なのかと言うとトランジスタが今は代わってる。

トランジスタが何者かというのはよくわからない。よくわからないけど色んな事をしている。思うに殆ど小型コンピューターのようなものなのではないか。
コンピューターはパンチを空けた紙とかリレーのイメージが近い。
ソフトはリレーで、ハードは真空管…なのかもしれない。そんな風に思う。

トランジスタの登場のおかげで、フルーツ用のタッパーほどの大きさのトランシーバーができるようになった。

真空管でラジオを作るための回路図が書かれていた。写真付きで、それぞれのパーツの役割と、パーツのひとかたまりでどういうシステムを担当しているのか、というのも書かれていた。

以前、SFやエッセイを無理解のまま書こうと思う以前には読めなかった事だ。部品相互の作用を利用して、それらのグループがどんなことをするか。目的がはっきりしている。

そしてそのグループ同士が線で繋げられていて、ラジオという機能になっていく。

グループにはきちんと理解できる名前が書かれている。
けれど一目見たところは単なる配線の塊だ。
配線の塊ではあるけれど、よく目を凝らしてみると、ブロックごとに分けられていて整然としている。

めちゃくちゃに並べていても、その図のような配線をしていれば成り立つ。

回路図は一目でどうつなげばいいか理解できるように書かれているので、必然的に線は二次元上で交差しないように書かれ、直に繋がっているものは隣に描かれる。どうしても隣に書けないもの、三次元的なまたいだものはトンネルのような記号でくぐってることを示される。

三次元で見るよりも二次元で見る方が便利なのは設計図だと思う。

元の三次元のものを分解しながら同じように作っていくにも、最初から立体感のあるものを別の局面のある立体にするのは手間がかかる。

掘り出すにしてもこねて形作るにしても、そこに書く設計図はまず2次元的なモノが落とし込まれる。
水平垂直が最初にある。
水平という平面、垂直という平面
そこから沢山の平面を観察しながら立体感を出していく。

紙は平面なので、展開図というものが必要になってくる。
展開図は様々な立体に潜む面を、平面に直してつなげていったもの。
つなげかたにもコツがいる。
より組み上げやすい展開図にするためには現物からは想像もつかないような形状に落ち着くこともある。

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