最初彼はクールで知性のある優雅な青年に見えた。
ごく普通に町に溶け込んでいた。
その身のこなしに惚れ惚れと見入っていた。
何もかもが器用で、無駄な動きなどなく、そして…この先言葉が続かない。つまり優男である。
やはり金に興味があるのだろうか。金持ちの女性と一夜を共にする。
それから徐々に歯車が狂いだす。
彼は常に自分の存在が相手に知られないように行動していて、慌ただしく住居を変え、名前も外見も変える。でも余りにもそぐわない失敗だと思った。金持ちの女性の家にまで出向いてしまう。
途中で何かを達成させるための集中力が途切れてしまったのだろうか。そういう部分に人間の弱い部分を見て、今ではそれがいいと思う。見ている間は、最後はただの犯罪者に見えた。
けれどジャッカルは、自分を犯罪者だとは思っていなかった。
警察側もあっさりと、抵抗勢力、反逆者を殺す。
「彼は一体何者だったのだろうか」
その言葉が突き刺さった。
彼は仕事の依頼を受けた時、全て一人でやると言った。一人でやる方が確実で安心、という考えだったのだと思う。
全て理性でやり通せたならそうだったと思う。
でも感情面の弱さとは、寂しさや恐怖だけではなかった。
不安というものは形を成さずに人の前に表れ、色々な姿に形を変えて現れる。そしてその姿を変えた不安が目の前に豊に横たわる山や川、そして母親に見えた時、孤独という鎧は身ぐるみはがされ、喜んで飛び込んでいってしまうのだろう。
その感情はたぶん誰にも制御できないし、孤独であるほど強く、一番決定的なシーンで表出してしまう。
彼はこの仕事を完成させたらもう二度と他の仕事に就けない、と言った。その言葉で想像したのは成功したら一生隠れて逃げ、遊んで暮らすしかないという絶望感だった。
沢山の金は行き詰った人生の代償に思えた。
映画の最初の方で「軍隊が私に銃を向けるはずがない」というようなセリフがあった。それも切なかった。
ところで見ているとき案が浮かんだ。
撃つと破裂する弾があるのだが、破裂した際に脊椎のような構造をした小さなAIが埋め込まれる…のような事だ。
自分のようなタイプの人がこういうのを書くと、また性格異常者だと思われそうなのでまず書いておく。
ホラー作家の顔は怖い。
作家でもないのに私の顔はこういうことを考えているので怖い。
でもいつそれを書くのかというと、一番いいのは死に際だ。でも死に際になって書くと余計具合が悪くなりそうなので、健康にある程度余裕があって、精神的ダメージが5割でも3日休めば直るリミットが近づいている今しかないと思うのだ。
何故ならば私の顔色を見て「夭折」「早く死ぬんじゃないか」「今に死ぬ」「死んだんじゃないのか」「お化けかと思った」「貞子」「妖怪」既に死後のものだと勘違いする人もいるくらいで、いつ神隠しに合うのかもわからないからだ。
でも私が消えた時は多分アマゾンの密林にいる。
キンドルの中かもしれない。
キンドルの中に人間が符号化して吸い込まれていったら…
それを元に戻すための冒険。
思いついた言葉をエピソードに追加していく。
ストーリーの筋と合致させるように誘導していく。
私が今見ている現実は本当のものなのだろうか。
昔から実体のないものは実体がないとすぐわかる。
けれど私がそれを把握できるという事を理解できない他者がいる。
そういう自分の特性はとても不思議だと思う。
私が見ていないものを見ていると他者が言う。
その他者は私に何を見ているのだろうか。
その他者にとって私が見ているものは絶対なのだ。
文章が気に入ったので小説に流用してみた。
考えていることと真逆の事を書いてみた。
真逆の事を書いてみると、とても格調高くなる。でも心が全くこもっていない。
心がこもっていないという事を理由に、逆に自分の書いたこの適当な文章についてもう少し見るべきだったのではないかと思うのと、自分の心の熱量の低さを思い知る。
けれど一向にその一線は超える気にはなれない。
超える気にはなれない一線を超えて見せる演技、のようなものが好きなのかもしれない。
そういう演技はあまり親しい人には通用しない。見せてはいけないと思う。
最近PVが増えていない。人に見られる可能性がありながら、見られていないときに自分の世界に埋没して何かを書くことが一番充実した時間だ。
ひとに見られるという意識は最後の最後、構ってほしい時までとっておけばいいと思う。そうなる前はひたすら没頭し、何か得体のしれないものを書きつけていく。
まず、こんなの既出だという考えを捨てる。本当に何が書きたいのかも捨てる。自分はこういう人間だからとか、こんなことをしていいのかとかを考えながら書く。そろそろ自分に飽きたといって、不意に外の情報を取り入れる。まるで気が付いたかのように。
イメージが浮かんだならそれをそのままそっくり書く。加工は不要だ。
影に濃淡があって、光で透けてる感じになったり、濃度の違う影が折り重なっているあの感じをうまく言葉にできればと思う。
よく道路のそんな影を見ながら歩いてる。
そういえばつい最近、本当に30年ぶりくらいに野生の鳥が糞をする場面を見た。
電信柱からビシャっと水が落っこちてきた。
上を見るとそんな恰好をしている鳥が一羽いたかというとその頃にはすっかりそんなことを忘れたようにいたけれど
晴れていたし、水が出ると言ったらその鳥以外は電柱が泣くとか空気が電柱に電気分解されたとかしかないし
ビシャっとしたひと固まりがやっぱり鳥が一回分する排泄量くらいだったのでわかったのだった。
この説明で今何が支払われたかというと、自分の時間が支払われたのである。あと経験値と想像力がやや上がった。
一番上がったのは不敵な笑み値であり、これが上がると飽和状態になり、ついには空が曇り、雨が降る。
勿論雰囲気である。