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仕事について

しごとについて、うまくいったことがありません。
何もかも遅すぎたり、雑だったり、逆に馬鹿に丁寧すぎたり気にしすぎたりします。
その中でも得意だったのが、ずっと言い続けてるのですが、ファンデーションの容器からファンデーションをこそぎ落とす作業です。
「そんなのが得意でも…」
ふとそんなことを漏らされたほどです。
あとはカッターを使わずに段ボールを崩せます。
また、廃品の分別は丁寧にやらないので早かったです。
でもこれらは殆どどうでもいい作業で必要とされていませんでした。

他は順列のデータ入力ですが、他の人が怖がってやらないようなことを平気でやって早く終わりました。
仕事ではいつも不安がられたりしょっちゅう注意されます。
最近では怒ると切れて怖いので、怒られなくなりました。
そんな時勢いよく言われると、つい聞いててきぱきとしてしまいます。
でも毎日怒られると行動がおかしくなってきます。
放っておかれても何かに気が付いて、何か余計な事を始めないとという衝動に突き動かされてしまいます。

そういう話をすると、そういう小説おもしろそう。書いてみれば。と言われます。

例えば普段使ってる駅でも、降りたら全く知らない駅に降りたような気がして驚いてしまう事があります。
そういう経験をする人がいると、気持ち悪い、魔女だという妄想を本気で抱く人間がいます。
そういう妄想を普通に本当だと思う人は、あらゆるファンタジーが実在するのだと信じていて、タペストリーを作り上げたらそこから異世界空間が広がり、自分はそこの王女でドラゴンとの戦いに敗れた女戦士でもあったということになり
つまりその時代、女が武将であり、国を統治してた日本でいう戦国時代だったという設定で、現実世界でも歩いているとあらゆる断片が壁や木の間、水に映り込んだ影に存在していることになったりします。それを見つけると彼女は写真を撮り、タペストリーにその印象を記号として追加していくのです。
それが完成したとき、ドラゴンとの戦いでタペストリーを投げうつと、ドラゴンの背に鞍のようにとりつき、女王はドラゴン使いになり、世界を制覇する…。

のような話が勝手にいま作り上げられていきました。
どちらにせよ、人を魔女だと本気で思うような人は想像力が豊かなので、絵画や童話、漫画の世界では引っ張りだこになれるはずです。

嘘のつき方もシュールになってくると、その人に本当の嘘を書かせるととても優れたものになるに違いありません。

このようなどこに飛んでいくのかわからない文章を書いている時間、これが最も自分の楽しい時間です。


ところでずっと悩んでいます。

優れた小説と自分の経験とフィクションが混ざってフィクションだと主張する小説
どちらが優れているでしょうか。

という自分の書いたコピーについてです。
優れた小説は優れているんで、自分の経験とフィクションが混ざってフィクションだと主張する小説についてはその文章力が高ければ優れてるんではなかろうか。

すぐ答えが出てしまいます。

けれど言いたいことはそうではありません。
自分の経験とフィクションが混ざってフィクションだと主張する小説、というのは誰でも書けるどうでもよい小説という事でもあります。

つまりは優れた小説とどうでもいい小説、どっちが優れてるでしょう。

これに近いのです。


どうでもいい小説、と言うのはいったい何者なのでしょう。
誰でも書ける小説の事でしょうか?
いいえ、違いまず。
実はどうでもいい小説、というのは誰にも書けない小説のことを言うのです。
プレミア感もお得感も何もない、つまり個人の記憶、しかもたいして変哲のないディテールに過ぎない。

実はここに落とし穴があります。

ディテールと何故言えるのでしょうか。
もし決まった形なら市松模様、千鳥格子などという名前がつくでしょう。
それをつけられないようなもの
つまり自然が描き出した風景に近い偶然のもの。
それなのでしょう。

多分それがある日ひときわ魅力的に見えるので
同人小説というものにのめり込む状況が発生するのだと
私は信じています。

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