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ファラデーの生涯

科学者の生涯について書かれた本を読むと、科学者の存在感を描くのに参考になる、という単純な事を思い知りました。

今ファラデーの生涯を読んでいるのですが、彼は学校をやめて家族のために製本屋の修行をし、何とか職人にもなりました。
本を作る作業など心惹かれ、うらやましく、かつ、親方が本をとても読んでいて、科学についても良く知っていて、とても親切だから彼はそこで働くのが幸いだったようです。職人になる直前にはついには科学の魅力のとりことなり、職人よりも科学者になりたい気持ちで一杯になっていたようです。

まだ前半しか読んでいないのですが、かれはとても計画的で合理的な考えの持ち主だったようです。そして家から出て、職場へ行き、配達の時間の配分を考え、その日のノルマもこなしていました。

何が言いたかったのかというと、現実逃避しなくても科学者になる素質は十分あり、かつ現実で要領よく物事をこなすことは科学の実験にも役に立つのだろうと感じた、ということです。

自分はまるで正反対です。

作家も、きちんとこなすひとはいます。だらしない人もいるようです。でも自分の作品に関してはシビアなのだと思います。

私は自分の作品についても適当で、時間や現実のあれこれそれに関して、あまり現実感を持って接していません。
多分私が見た人は、半分以上自分の想像だと思います。
それすら最近まで認めていませんでした。

でしたので、これからはその、半分以上想像で人を見つめている視点を大事にしつつ、イメージにシビアになり、文章についても無駄を省き、無駄無駄をよりわけわからず変な存在感を持たせ、通り過ぎた嵐のような作品を書くのが目標です。

自分に一番濃く備わっている誤解と妄想、デジャブとジャメビュ、寝てるふりと見てるふり、ツボにはまって抜けない感じを大事にしていきたいです。

あまり現実を直視しないように努めていきます。

直視したら想像力や空想力はそれはそれで高められていくものだと思います!

ということで、直視した方がいいと思ったら直視し、ちょっと見ると焼け焦げて臨界点爆発しそうな辛さあるなと思ったら何が何でも逸らすことに、します。

師走。過ぎて新年。

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