振り返ってみると自分はいつも暗い影ばかり追っていたので、暗い事ばかりをノンフィクションで書いてみた。
でもさほど暗くはないと自分で感じる。
が、他人から見るとやはり怪しいから近づきたくないと思われるだろうと思う。
江戸川乱歩の少年探偵団は本当にドキドキした。
初めて乱歩に触れた時は暗闇の中で血を流す感覚、多分その危険な感じが自分は身をもって体験したいという思いがあったのだと思う。
人の死については高校生くらいの時に興味を持った。
それまでは人の死に興味を持つことは悪い事だと思っていて、ホラーやミステリーは消極的に正義ありきで見ていた。
あまりそれについて語ると、本当に怪しく思われるので控えるが、やっぱり物の色んな状態はあるべきものであり、それが殆ど少しの状態しかみられないもの、というのはなにか不思議な影響力がある。
よく、ある種の願望を特別に際立たせて扱う、という手法があるけれどその罠に現実ではまることは良くないと思う。
際立たせるというのは現実では起こりえない事だからそうして効果があることで、本当は地味で何の特徴もないのが本来の姿だと思う。
今得たのはそういう答えで、今興味があるのは自分の知らない知識についてだ。
科学の事、行ったことのない場所の事、人と自然に話すという事、楽器を弾くこと
うまくやるには休みが必要だと思う。
静と動のバランスが必要で、意識した方が周りも助かるらしい。
うまくやる、ということに何となく負けを感じてた。
うまくやれない青臭さみたいなものに憧れすぎていた。
上手くやれないのは普通の事だ。自分の普通。
上手くやれることは数少ない良い経験で、いつもじゃない。
そういうものなら勝ちだと思う。