さっきの記事が、まるで書かないと言いながら絶対に書くと言ってるようで怖くなって言い訳の文章を書いています。
ところで本当に荒唐無稽にその場限り浮かんだ事を小説に起こしているわけですが、これから書こうとしてる事が書いていいものか悩んでいます。
ここは書かずに、完全に素通りした挙句、最後一言だけ説明があるような感じにすればいいのかと思います。
それで、小説は、主に黒縁メガネとのやりとりをダラダラと続け、一話、二話分くらい主人公が何かしたという断片を書き、殆ど読者の想像に任せる感じで、黒縁メガネがひたすら詐欺めいたことを言い続けて主人公はなにかやらされる、という雰囲気なんだけど実際何をしたか一切書かれてないのとか良いと思いました。
「マルタの鷹」という映画はそういう感じのところが秀逸で、殆ど町の中の決まった範囲でしか物事が起こっていません。
あと、●●なら、もっとこのシーンを沢山感じさせてほしかったと思う感じの映画、小説が多いのですが
そう思うのは実生活でダラダラしてる時の話です。
忙しい時はどっちかというと●●であるなら●●であることをはっきり書いてほしい。もしくは結末は1ページでわかる方が良い!
というようなこともあるかもしれません。
という言い訳で、長々続きそうな今書いてる小説を、いつかぶった切るように急に終わらせようと思います。
本当にぶつ切り過ぎたら後から追加します。
作りは雑です。
ふと、更新後に思いついたので付け足しですが
主人公は何をやったかわからないけど、ひたすら罪悪感を感じていて、言えない何かをビジョンとして提示し、どうしてもその先を言えずにただ自分に都合の良い事だけを真実として見せる事しかできない…
そんな風にすると、逆に小説としては一本筋が通るかもしれないのかなと思いました。
現実ではとても不評を買いますが。
小説だと、この人は結局何をしたの?
ということになる。
それが小説自体の評価につながるかはともかく。
んで、ふとランキングの上の方の作品を読みました。
上の方、最近は結構面白いと思うものばかりになってきたのですが、何で面白いと思ったかというのが、「底辺のピラミッドが大きくないとそのサイトは栄えない」という内容です。
これは目から鱗でした。
本当は中の上位が多いのが一番いいんじゃないかと思うのですが。
自分は中の下だと思います。多分底辺だと思う必要のある人は何処にもいなくて、みんな中の下だと思ってれば問題ないと思います。そういう意味の自己評価です。
で、言いたいのは、上の方ばかりになると結局恐れ多くて近づきがたくなるってことですよね。
ただ、中の下のわたしみたいのが頑張りすぎるとサイトは活発でなくなる自覚あるので、更新履歴は突発的に、そして日を空けてが効果的だと感じました。
上質なものばかりになるのは結局上流階級の社交場、一元様お断り、かつ文章に明るくないとちゃんと理解できない、ちゃんと向き合って読めない…そうなりますよね。
そうなると活字離れです。
「書を捨てよ、町へ出でよ」という本がはやった時代には若者があまりにも本を読みすぎて、学校が活発過ぎて、世の中暗く硬くなりがちになり、んで、もっと頭柔らかくして、人と感覚で付き合いなさい、みたいな感じで書かれたのだと誰かがテレビで話していた。
友達がいないので情報はネット、テレビ、書物、ですね。
今はむしろ、「書を持って町を歩こう」な感じでしょうか。
でも最近本が好きな人が増えてる気もします。
若いミュージシャンや芸人なんかは結構哲学の本に手を伸ばすし、
芸術をやる人は美学に興味があり
結局TUTAYAは貸し本業を始めました。
紙の本が消えていく時代、図書館や古本屋が貴重になるでしょう。
そして、本はいずれ廃棄されていくので、その価値はどんどん上がっていくことでしょう。ボロボロになった本すら、値段がつく時代が来るかもしれません。
または時代が逆戻りして、パソコンがほとんど使われなくなる時も来るかもしれません。
発想を転換して、逆に紙に文字が浮かんだり消えたりするという時代もくるかもですね。
その頃にはもしかして、私たちは紙の中に入り込んだりすることになるかもしれません。
そうなると、宇宙旅行も紙飛行機でできるかも。