仕事が山を越えたので、自主企画にご参加いただいている皆様の作品を読みに回ろうかと思っております。
ここ数日は、「まつりごと」という言葉の意味を改めて考えさせられています。
そもそも政と祀はどちらも「まつりごと」で、近代まで両者は分かち難く存在していたのです。それをぶった切ったのが明治政府ですな( ゚ω゚)
他のところに掲載した拙文をちょっとここにも書きますが、
"近代国家に政教分離が必須であることは勿論だが、そのことの意味を国民が知らないうちに宗教を封じ込めた明治政府の政策が今日まで尾を引いているのではないか。そして信仰の根を奪われた大衆の宗教観が、現代のカルト宗教の誕生と受容をもたらしたのではないだろうか"
今、皆さんがお参りしている神社は、明治以降に政府が立てた国家神道という新興宗教の下で運営されているものです。祀られているのはヤマト神話の神々ですね。明治政府によって記録が封じられる前、もっと多様な宗教が本邦には存在していたのですが、それらの神々には明治政府によって記紀神話の神の名が宛がわれ、本来の名が奪われました。
民俗学的にけっこうえらいやっちゃなことをしやがったんすよ、明治政府!
丁寧に見ていくと、土地に昔からある神社の由緒来歴には明治政府に対する恨みが滲み出ているのが珍しくありません。名を奪われた=その土地に住む人々の産土神を取り上げられたと同義ですから、根深いです。……大山街道沿いの神社、そんな怨嗟だらけよ( ゚ω゚)
王政復古の大号令に端を発する神仏分離と国家神道の成立には、江戸後期に発達した国学と後期水戸学、そして尊王攘夷思想の後押しがあったのは間違いがないのですが、今の政治家たちはその明治維新からの血脈ですからねえ……
いうなれば、今もまだこの国には明治維新のイデオロギーが残存しているのです。その是非はともかくとして。
ま、いろいろと思うところがあるわけです。
とにかく、今週半ばから自主企画の方に取り組んでまいります。
ご参加いただいた皆様にはお待たせしてしまっており申し訳ございませんが、もう少々お時間いただければと思います。