大山街道の始まりは江城赤坂御門です。*江城は江戸城の別名だよ!( ゚ω゚)
現在、紀尾井町と呼ばれる赤坂御門の付近では新しい商業施設が人を呼び、土日は老若男女数多の賑わいを見せております。
坂の上は永田町、国会議事堂が立ち並ぶ界隈で、つねに警備が厳しく巡回する警察官が多いので、迷ったらすぐ道を聞けるのです( ゚ω゚)Yeah!
さて、赤坂門自体の遺構は①②に示したように土台石組みが残るのみですが、堀は今も水を湛えて現役です(③)。ただもう片方の堀、山王神社に続く溜池は埋め立てられて、その名も外堀通りとなっております(④)。
溜池山王という最寄りの駅名がそのまま土地の歴史を表しておりますが、赤坂御門から江戸城を出る道は青山通りですね。
渋谷を過ぎるまでの名を青山通り、実のところは厚木街道、そのまた素顔は大山街道であるところの道を東に向かうと、すぐに豊川稲荷が見えてまいります(⑤⑥)。面白いことに、ここの稲荷は寺院なんです。稲荷"神社"ではないのです。
神仏分離の混乱がこの辺りに見られるかな、と。いや、神仏習合か……
そもそもが神仏の両方の性格を持っていた稲荷が、神仏分離の際にどちらを選んだか、その辺が豊川稲荷を紐解くキーポイントになるかと存じます。
お稲荷コンコン、私がこちらに行ったのは実は今年の正月過ぎのこと、大祭のお知らせが出ておりました。
豊川稲荷から青山通りはまっすぐに東へ向かうのですが、大山街道は迂回が入ります。カーブが始まるその手前、切絵図には"牛啼坂"との文字が見えますが、実際今も牛鳴坂の地名が示されています(⑧)。
この辺り、下調べにはなかった武家屋敷の遺構があって、これはなかなかの大名屋敷の門構えです。10万石以上の大名上屋敷門ですなあ(「青標紙」参照)。
こんな感じで近況ノートでは観光気分満載に、エッセイ「『海鷹の翼』取材の記録」(
https://kakuyomu.jp/works/16816927863307553651)の方では、仏教や神道の考察を交えながら本編開始までの時間稼ぎをさせていただきたいと存じます。