実は今日も取材に行ってきたのですが、水を張り始めた田んぼや畑の側を通ったときにカタバミを見かけて酒井氏を思い出したので、ついでです。
庄内藩の酒井氏は、幕末、幕府から江戸市中見廻り組を任されました。
会津藩松平氏が京都市中見廻り組でその下部組織に新撰組がありましたが、自作には出てこんので酒井氏に話を絞ります( ゚ω゚)
いうて、新撰組に対応するのが新徴組だったわけで、「翠雨の水紋」「冬青木の追憶」ではこの新徴組を登場させております。
資料が難しくてですね、学術的な資料は「新徴組の真実にせまる」(文学通信)に頼りきり、あとは幕末の小話の聞き書きなんかを漁ってイメージを固めてみました。
なんですけど、ビジュアル資料が乏しんですよね。
制服の羽織があった、という証言と、なかった、という証言がある。あった、という証言によると、浅葱色の羽織だったといいます。はて。
私は二つの証言を「どちらも正しい」と解釈しました。
というのは、酒井氏は新徴組を独立した組織ではなく、市中見廻り組の一部門としていたため、家中では区別があっても対外的には区別のないように見せていたのではないかと、それはありうることだと考えたのです。
で、市中見廻り組は基本、庄内藩士で構成される黒羽織ですわな。
一方で新徴組は江戸のニート、おっと、少々金銭的に厳しいフリーターな武士を雇ったので、見栄えを考えて酒井氏から制服が支給されていたのかもなあ、と。
そして江戸の町人は新徴組を市中見廻り組と区別していなかった節がある。
こんな二つの事柄が同時に成立していたのなら、江戸の市民から見て「新徴組には制服があるけど、ない」というどちらの証言も正しいことになる、そう私は考えたのです。
どちらかが正しい、よりも、どちらの事象も説明できる事実があったのではないか、と考える方が視野が広がる気がします。
そして新徴組を含めた江戸市中見廻り組は常に酒井氏の「剣酢漿草紋(けんかたばみもん)」を掲げて行動していたため、町人にとっては見廻り組というより「酒井様」という呼称の方が馴染みやすかったのではないかと思い、「翠雨の水紋」にはこの私の考えを投影して描写しています。
その「剣酢漿草紋」、カタバミというどこにでも生えている植物の葉がデザインされた家紋です。道路の脇にも生えてます。珍しくないのですが、小さくても可憐な黄色い花が目立つことと、ハート形の葉の形の優雅さが中世の頃から好まれて、古くから使われてきた家紋です。
このカタバミ、畑の近くというより、より湿り気のある田んぼの方がちょっと多い気がします。畑に生えていてよく間違えられるのが、クローバーことシロツメクサですね。
生物の分類としてはこの2つの植物、動物でいうところの犬と猿ぐらいには離れています。全く別の植物です。カタバミはバラ類、シロツメクサはマメ類です。
ちなみにちなむと、マメ目の植物は大気中の窒素を固定できる根粒菌という細菌と共生しているため、連作が続いた畑などではシロツメクサを栽培し、痩せた土に窒素を取り込む、なんてことをしています。
春の田園風景でシロツメクサのお花畑、なんてありますが、れっきとした農作業の一環なんですね。
そろそろシロツメクサの季節も終わりに差し掛かることと思います。
もしお子さんが「四つ葉のクローバー、見つけた!」といってカタバミを持ってきたら、すかさず庄内酒井氏についての知識を伝えてください。
教育的指導は隙を見せずに直ちにその場で行うのが最も効果があるのです。
違うんや、その草ぁ!( ゚ω゚)
ちゃんと四つ葉のクローバーだったら、頂端分裂組織における細胞分裂の異常が葉の異数性の原因であることを教えるのです。高校の生物です。基本です。
*写真には、カタバミとシロツメクサの画像と、酒井氏の大名火消し衣装、庄内致道館(庄内藩の藩校)で見られる酢漿草紋を掲載しております。