……画像を編集し終わってから本文を書いているんですが、やっぱり入りきらなかった写真があって、そちらは他の資料との合わせ技でまた後日、紹介させていただきます。
さて、鶴岡駅から羽黒山山頂まではバスが出ています。正規料金ですと片道1600円ですが、一日乗り放題フリーパス2000円の適用範囲内だと観光協会の方に教えてもらい、聞いた瞬間、即ゲットしました。往復3200円が2000円で済む!
鶴岡市内からはほぼ一本道で羽黒山まで向かうのですが、その途中には大鳥居がございます。……ええっと、ちょっとしたスケジュールミスがなければ手前のバス停で降りて次のバスが来るまで30分ほど大鳥居の周辺を散策する予定だったのですが、旅先では何があるかわからないもの、予定は未定の変更で、大鳥居はバスの中からドライブスルー見学と相成りました。
写真を撮り始めたら時間を忘れるよね!( ゚ω゚) ←原因
バスの中は私だけの貸し切り状態で、窓の外、道路わきに積もる雪はしだいに嵩を増していきます。山頂まで30分ほどだったでしょうか、着いてみると売店土産物屋は3月末まで休業中、自販機で冷たい飲み物がキンキンに冷えておりました。
終着バス停からは5分ほど歩くのですが、まあ、鳥居の写真を見ていただくとお分かりのように、除けたところでこの雪の深さ、本殿に近づこうにも近づけない状態でございます。
それでもむりやり近づこうとして案の定、雪に埋まって途方に暮れておりますと、両手にストックを持ち冬の山歩き装備を整えた女性が社務所の中から出てきました。これ幸いと「すみません、拝殿にはどのようにすれば行けるのでしょうか」と尋ねますと、冬期は外から拝殿に上がることはできない、と言われました。
「でも代わりに、夏の間は入れない拝殿の中にまで、こちらの社務所の中を通って入ることができますよ」
Yeah !( ゚ω゚)
ありがとうございます!とお礼を述べますと、その女性は実は羽黒山の山伏だということで、これから雪中、山を下るとのことでした。教えてもらったように社務所の中から拝殿の内部に入りますと、いやあ、すごいっすね( ゚ω゚)
建物の構造や内部装飾は寺院なんですよ。でも出羽三山"神社"なんですよ!
艶やかな漆塗りの太い柱、金の装飾が施された厨子。神仏習合の本家本元、本物の中に入ってえらいこと私は感激しました。そしてここでもまた見学者は私一人で、贅沢にもファンヒーターを独り占めしながらしばし、月山、羽黒山、湯殿山の三山の神様が祀られている厨子の前で過ごすことができました。正式には三神合祭殿というそうです。
内部は撮影禁止なので写真はないのですが、羽黒山の公式ページ(
http://www.dewasanzan.jp/)で様子をご覧いただけます。いやあ、ほんとすごかった!(語彙
その拝殿の中、建築物以外に仏教を感じさせるものは表にないのですが、これは前々から取り上げている明治政府の強硬な神仏分離政策によるものです。
拝殿の脇には千佛堂と呼ばれる場所がございまして、ここには多くの仏像が保管されておりました。これも見事なものでしたが、現在保管されているものは、実は、中世から続く羽黒山の歴史の中の一部でしかないとのことでした。
明治維新後、明治政府によって仏像は羽黒山からすべて持ち出され、二束三文どころかタダで外部へ売り払われたそうです。見かねた地元の有志がこつこつ買い戻した仏さまが、今はその千佛堂に在るのですが、この時代、全国各地の多くの有力な寺院で同じようなことが生じて、海外へ日本の文化財が多量に流出しました。重ね重ね大変に残念なことだと思います。
次作「海鷹の翼」の執筆直前まで続くいくつかの取材では、この明治政府による神仏分離とそれによって引き起こされた一部の廃仏毀釈運動の痕跡をたどっていくことになります。……なかなか心の痛むものですが、できるだけ中立に、事実のみを追跡していきたいと考えています。
さて、やけにねっとりと参拝を終えて外に出ますと、先ほどの山伏さんはもちろんおられません。もう山を下り始めたのでしょう。帰りのバスはというと、……2時間半後です。
決意しましたね、自分も徒歩で山を下りようと!( ゚ω゚)
……良い子は真似しないでくださいね。私は野生生物の生態調査の経験があるので、基本、装備は常にそれに準拠しています。履いている靴にしろ上着にしろ、氷点下10度までなら普通に行動できる状態で調査に出ております。
で、写真にあるような山の中を下り始めたのですが、うん、ほんと、よゐこは真似してはいけませんYo!詳細を省きますが、そこそこ雪まみれになって山を下りたその先に、国宝である羽黒山五重塔が現れたのでございます。ぐるぐると近づいたり遠ざかったりまた近づいたり、気のすむまでじっくりと見ることができました。
これ、大きいんだわ、思ったより。そして実物の迫力!
間近で見る木材の組み方の精巧さに見惚れました。6百年、ずうっとここに、毎年の雪の重みに耐えながら立っているというその事実だけで圧倒されます。これはほんと、是非、機会を作ってでも見に行くべきものかと思うのです。
結局2時間足らずで山から下り、資料館を見れば帰りのバスの時間にちょうどよかったのですが。……ちょうどその資料館が休館日で。
不貞腐れたわたくしは、資料館の玄関前の階段でエネルギー補充食を摂取してあたりを歩いてみました。余談ではございますが、寒中の行動では空腹を感じる前にエネルギーを摂取するのが肝要です。夏場は渇きを感じる前に喉を潤せと申しますが、同様ですね。
羽黒山の参道入り口付近には御師集落が今も現存しており、写真に示したように軒下に魔除けの引綱がある、そこが宿坊となっております。
羽黒山の御師が秋から冬にかけて江戸にやってきて信徒を増やしたのが出羽三山講でございますが、実はこの出羽三山講、墨堤の桜餅とも大いに関係がございます。
桜餅と羽黒山、この二つの関係がどう結ばれているのか、次回の取材ノートで詳しくお話ししたいと存じ上げ、今日はここまでで筆を置かせていただきます。