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六本木の鶯餅

『翠雨』にこの辺りは出てこないのですが、写真が溜まったのでまとめてみました。

六本木にはアメリカ大使館があるため、昔からアメリカの文化を受け入れた、なんかこう、外国かぶれの飲食店や飲み屋が多いところです(゚ω゚)

けれど元々は赤坂氷川神社があって、江戸時代から人が集まっているところでした。武家屋敷も集まっており、特に、「上杉、朽木、高木、青木、片桐、一柳」の下屋敷があったことから、六本の木、「六本木」の地名が付いたという話がございます。

江城からは赤坂を経て六本木にいたるのですが、その道のりは坂だらけです。
赤い星で示したのは報土寺ですが、写真の奥、築地塀の傾きが坂の傾斜をそのままトレースしています。

ちなみに築地塀は昌平坂学問所や待乳山でも当時の物が見ることができます。

青☆は六本木交差点ですが、バブル期の華やかさは今はないですね(゚ω゚)
当時の華やかさはそのまま六本木ヒルズのほうへ移っている感じです。

六本木交差点を東に進むと黄色☆、東京タワーが道の向こうに見えてきます。この道沿いに「青野」という安政三年(1856年)創業の老舗の和菓子屋さんがあります。ここで作られているのが鶯餅なんですが、ちょっと現在、コンビニやスーパーで売られているものとは様子が違うかと思います。

「青野」の鶯餅は、求肥に餡を包んだ一口サイズの餅が2つ、きな粉がまぶされ笹皮を模した包装で包まれています。笹舟にねむる鶯の姿、らしいです。

餡入り信玄餅黒蜜抜きですね、端的に(゚ω゚)

大福文化が京都からもたらされる前の江戸の鶯餅の姿を今に伝える一品で、通年、買い求めることができます。……きな粉が多くて信玄餅以上にブフォオッ!となりますので、お求めの際はお気をつけください。

( ゚з゚ )ブフォオッ!

*資料は国立国会図書館デジタルコレクションから引用しています。
〔江戸切絵図〕赤坂絵図 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286666

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