寒さが厳しくなってきた折、布団の温もりが恋しい今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
新たな物語である「天づるし」を加えて、『輾転草』もようやく十話まで手が届くようになりました。来年はもっと精力的に更新していきたいと考えております。
さて、『輾転草』に登場する妖怪或いは怪異は次の書籍をもとに成っています。
・鳥山石燕『画図百鬼夜行』『今昔画図続百鬼』『今昔百鬼拾遺』『百器徒然袋』
・桃山人・竹原春泉『桃山人夜話 絵本百物語』
・水木しげる『図説 日本妖怪大鑑』『図説 日本妖怪大全』
これらを参考に作者が脳内で醸成させた「虚構の物語」が『輾転草』の正体となっています。鳥山石燕の妖怪画群の中には明らかに諺や言葉遊びをもとにして創作されたもの(百々目鬼などがそうです)が数多くあります。街頭が夜を照らさなかった当時の世の中にあって、妖怪とはもっと身近なものであり、人知れず生まれては死んでいくものだったのでしょう。要するに、先人は恐怖や畏怖の対象となるような現象や事柄を絵画や物語といった虚構の器の中に封印したのです。
『輾転草』は先に虚構として描かれた妖怪や怪異を、改めて虚構として物語化しているのです。なので、私が書いた物語に登場する妖怪達はあくまで「虚構の二重写し」によって、薄ぼんやりと形を留めている程度のものであることをご理解していただけると幸いです。
土地に由来する伝承を直接取材することにより、この影のように虚ろな感覚を取り除くことは可能なのかもしれません。しかし、それは伝承や伝説の紹介に留まり、自由な想像を時には縛るものでもあります。作者はそれを一番に恐れています。
「これは、伝承の紹介であって小説ではない」
という状態に陥ってしまうことを恐れているのです。虚構として描かれた妖怪を、改めて虚構として書くという指針や姿勢に無責任を感じる方々もいらっしゃるかも知れませんがご了承ください。作者は小説を書くことしか能がないのです。土地に赴き、伝承を取材し、論理を重ねて、真実の姿を見出すことができないのです。申し訳ないと思っています。
虚構を虚構として書く、という回りくどい手順を追っていますが、今後も百物語を書き継いでいくつもりでいます。これは、小説であり、物語なのだ、とご理解していただけると幸いです。甚だ、分かりにくい文章になってしまい、皆様にはご迷惑をお掛けしてしまいました。申し訳ございません。