読んでくださる方がいること、読んだあとに幸せだと言って下さる方がいること、を感じたとき。
それと、生きているうちに何としてもあのシーンまで到達しないといけない、というのを感じたとき。
カクヨムの作家さんが若くして急逝したのを知ったその日は、事務員として数年前に一緒に働いていた女性が亡くなったことも知らされた日でした。
たまたま夫が最寄り駅まで迎えにきてくれていて、私の顔色を見て、「松屋でごはん買って帰ろうか?」と言ってくれました。気力がない、買ってきて、と頼んだら買ってきてくれました(優しいですね)
なんだか体調悪いな……この話のここ、まだ公開するには納得できないな……等と思いながら、その二つの出来事が頭にちらついて、その日のうちに最新話を更新(公開)しました。(実際体調は悪かったようで、その後盛大に吐きましたが)
私の場合、「いつ書けなくなるかわからない」というのは、自分に発破をかける意味でも、時々思い出したほうがいいんだと思います。だって、事実だから。
十年ほどエタっていた「虫」のほうの「果実」を公開したのも、コロナが流行ったタイミングでした。でも、十年も間が空くとね。自分側も生存を疑われるレベルなのですが、「楽しみに待ちます」と言って下さっていた読者さんも、今はどうしているのかわからない。読んでくださっていた方がいたのに、長く公開しないでいたのを、だいぶ後悔しています。
子供を遺して逝けない、というのももちろん強く感じるのですが、それと同じくらい、「あのシーンを公開せずには逝けない」という感情があるのを知って驚きました。読んでくださるのが例え一人であったとしても、そこまで持っていきたい、裏切りたくない、という。
書けないときはどうしたって書けないのですが、書けるときは書いてしまわないとですね。