久々にゲームをしました。
世界を救うための少女を騙して宇宙に飛ばすゲームです。
『イリヤの空』を思い出しました。
世界観がとてもよく、ゲームとしても面白かったのですが
スイッチではバグが多発しセーブデータ破損が起きたので動画で真エンディングを見てしまいました。
PCが重くなるのでSteamは入れたくないのですがPC版が正解だったようです。
プレイ後、激しい頭痛に襲われて倒れました。
SG顆粒という頭痛薬を飲んで寝込みました。
私は昔からゲーム中に激しい頭痛に襲われて倒れるというのを繰り返しています。
ゲーム実況者さんは十数時間を連続プレイしていたりしてすごいなーと思います。
思うに私はワーキングメモリ(短期記憶)のキャパが尋常ではなく少なく、興味のあるゲームであっても無理やり情報を詰め込むと過負荷で緊張頭痛を起こすようです。
おそらく、私はもうゲームを楽しくプレイすることはできないんだろうな、と今日感じました。
『全ての少女』が高難易度ゲームで強い緊張を強いられたというのもあるんですが、たとえ2時間単位でもモニターの前に座っていることがもうできないようです。
小説を書くのは不思議とできるのですが、これはおそらくアウトプットとインプットで脳の処理領域が違うのだと思います。
私はインプット能力が悪く、情報を正確に整理したり蓄積して答えを出すことができません。
パッと見て分かるものは分かるし、初手でコケたらどんなに簡単なものでも理解ができない。
とても残念ですが、『遊ぶ』ということを私は諦める時期を迎えたようです。
『全ての少女』はフレーバーテキストがとても楽しかったです。
特に町に殺人鬼が現れると、『愛を探しに来た女』というカードで除外しないと殺人鬼が自分のデッキの人材を殺して回るというキングボンビーみたいな動きをするのですが、その『愛を探しに来た女』を使うと
「二人は闇夜のどこかへ去った……」
というようなテキストだけが表示されます。
そこにどんな物語があったのか、プレイヤーの手に委ねられているんですね。
私はゲームというものは、こういうフレーバーだけにして想像力にまかせてもらえるものが好きです。古典ドラクエ的というか。
最近は「ユーザーは何も考えてないから全部説明してあげないとダメ」という風潮ですが、分からないなら分からない、想像できないなら想像できないでほっとけばいいと思います。
感じる人は感じるし、そうではない人はスルーする。それが自然な形です。
そのあたりをしっかりユーザーに委ねていた『全ての少女』でも頭痛がしたのはとても残念です。
最近、休日は朝起きてご飯を食べた後に失神するというのを繰り返しています。
私はバイトをしていた頃に分割睡眠に陥って一日4時間の睡眠を二回取るため、寝起きで職場にいって意識朦朧としながらレジ打ちしていたために、煙たがられていました。
今の職場は落ち着いてきていたのですが、そもそも通勤に2時間以上かかるのと、連休がなかなか取れないので身体に蓄積したダメージがいよいよ出てきたようです。
この分割睡眠はとても身体に悪いのでやめたいなあ、と思うのですが、休日はゆっくりしないと……と思うとなかなか活動的なことができません。
私は定職について10年近いですが、仕事を優先したためにほとんどの交友関係を失いました。休みの日に体力が残っていないからです。
『感じる』ということに心が耐えきれなくなってきた、というのが一番悲しいですね。
本当はもっとたくさんのことをインプットしてアウトプットして、静かに暮らしていきたいのですが、脳が耐えられないようです。
と、ここまで暗いことを書いてから、「今日は原稿は無理かな……」と思ってテキストを開いたら『カネ引っ張るやつ』の続きが書けました。
私は昔からツイッターで暴れたり、こういう愚痴を書きまくった後になぜか筆が乗るという超絶迷惑な特性があるのですが、もう20年近く変わらないので、このまま最後まで行くしかないようです。
オンライン講習も終わったので、なんとか『ロゼの話』は書き進めていきたいなと思います。