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『紫色のクオリア』で回復した話

朝から3万円のイヤホンを無くすという地獄を味わったのですが、『紫色のクオリア』の第一部を再読したら落ち着きました。

波長の合う文章というものはよく分からないもので、いくら文体を研究してもなぜ合うのかが分かりません。

中学生の頃、みんなが絶賛していた小説を「きっと面白いだろう」と思って最後まで読んだら「この作者は何が言いたいんだろう?」とまったく理解できずに終わったことがありました。

文体として破綻していたわけでもありませんし、みんなが一定値の評価はしていたわけですから、面白かったはずです。
しかし私はなぜか読めませんでした。

こまごまとした好みはあっても、読了を断念しかけるほどの抵抗感というのはどこから生まれるのか。
今でもよく分かりません。

逆に『紫色のクオリア』のように2行読んだだけで私の精神が落ち着くということもあります。3万のイヤホン紛失事件が「まァいいか」まで落ち着いたのですから相当なもんです。

私はもともと腹痛持ちで、自分の苦痛を鎮めるために空想や妄想を繰り返しモルヒネとして活用していました。

少なくとも今でも、好きな作家の文体というものは私のストレス軽減になるようです。
逆に言うと「みんなが読んでいるから、話題の作品だから」というだけで「本当は合わないな」と思っている作品に触れ続けるのはとてもストレスなことなんじゃないかと思います。

野球と政治と宗教の話は他人とするな、という格言がありますが本当に大切なことは他人と共有すべきではないのかもしれません。

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