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『クイーンズ・ギャンビット』を酒飲みながら

ネットフリックスで6話まで見ていたクイーンズ・ギャンビットをたまたま見直しました。

昔、この流れでそのまま書いたら「ネタバレやめろ」と怒られたのでワンシーンだけネタバレします。





私は『天才』モノが好きなのですが、特に『信頼を置いていた他者に見捨てられる』シーンがとても好きです。

このシーンが無ければ、それは『天才』モノではないとまで思っています。

それほどまでに天才を描く際に『他者との断絶』は重要な点だと思うのです。

このドラマの主人公のエリザベスも、信頼はしていたけれどチェスの腕は自分に遥かに劣る男性に見捨てられます。

「ついていけない」と言われて。

私は思うのですが、天才という人種は、周囲が思っているほど他者のことをどうでもいいと思っていたり、孤独に順応していたりはしません。

むしろ「自分と他者の何が違うのか?」を分析していった結果、突出した能力を振り回すことでしか他者と関われなくなってしまった人種だと感じます。

天才にとっては

「お前はなぜこれができないんだ? みんなできるのに」

と言われるたびに、

「ならあなたこそ、なぜチェスで誰にも負けないくらいのことができないの? 私にとっては簡単なのに」

と思っています。

これを振り回せば常人はついていけないと離れていくのが当たり前です。

しかし天才側からしたら

「最初にひでーこと言ってきたのそっちじゃん!」

という気持ちもあるし、純粋に

「なぜみんなは自分と同じことができないのか?」

ということを理解していないのだと思います。

だから私はこのドラマで、ベスが朝食のサンドイッチを作って持っていったら男性が荷物をまとめて出ていくところだった、というシーンがとても好きです。

ベスは分かっていなかったわけです。男性の気持ちが自分から離れていく過程が。

別の映画になりますが、『シャーロック・ホームズ』でホームズが

「これが能力? 違う、これは呪いだ」

というシーンがあります。

才能というのは結果を残そうが、残すまいが、贈り物であると同時に呪いであるというのが私の考えです。

呪われていない天才などいないと思うのです。


私は15年前、当時の読者で信頼を置いていた方に

「おまえは天才しか描けないのか。普通の人間の気持ちが分からないのか」

と言われたことがあります。

当時、私は「分からない」と思いました。

今でも多分、分かっていません。

その人は私から離れていきました。


また別の友人からは

「おまえはいざとなったら自分の才能を振り回せば全部どうにかなると思ってる。俺みたいな凡人には、お前の気持ちは分からん」

と言われました。彼とも疎遠になりました。

だから私には、いつもと同じようにサンドイッチを作って持っていったら別れを告げられたベスの気持ちが分かるような気がします。

普通にしているだけだったのに、それが他者を致命的に傷つける。

まだ『クイーンズ・ギャンビット』を最後までは見ていませんが、もしできるなら、エリザベスが幸せになるエンディングが見たいものです。

それを作るのは、デウス・エクス・マキナや夢オチを使わない限り、かなり難しいと思っています。

いつか自分で作ってみたいものです。

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