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『ミステリーの書き方』読了

図書館で借りてきました。

ミステリーの書き方ということでしたが、全体的に小説の骨組みとなる部分をプロ作家の方たちがどのように組み立てているかという話がメインだったように思います。

一人称にするか三人称にするか、読者の視点や心境を主人公に寄せるか寄せないか。
全員がそれぞれのやり方でやっているようで面白かったです。

私は「~た」が続くとテンポが悪くなると思っていたため、若い頃に「~た」が来たら「~る」を次に置くという「たるたる戦法」というのを実践してたのですが、まったく同じことを言及している作家さんがいて興味深かったです。

いずれにしても小説家になるなら「賞を取れ、箔をつけろ」という方が多く、ネット以前の小説志望者が作家になってやっていくのがいかに困難だったかが思われます。

ネット小説がプロ作家の小説が読まれる機会を損失させているという意見もありますが、誰でも小説を発表できる環境が整ったことは、私はよかったんじゃないかと思います。
そのせいで大勢の作家が死んでいき、どれほどの才能が消えていったとしても。
少なくとも今は「なんとか掘り返して探し出せば、自分が読みたいと思える作家が見つかる」可能性はあります。

私はそれよりも、気軽に読んだり書いたりできるほどの時間が現代の労働者には無いということの方が問題だと思います。
労働が終わって寝るまでの可処分時間は三時間。
ユーチューブやネットフリックスを押しのけて読書をするという人はそんなにいないと思います。

なので、たとえ現金化できなくても、作者が無理なく書けて読者も集中せずとも読めるような『家庭料理』に近いような創作体系が必要だと感じています。
その三時間を苦痛で染め上げたら作者の心身が保たないからです。

また読者の方も常に供給され続けるエンターテインメントの中から小説を選ぶのは時間配分の選択肢として採る理由が生まれにくい。
そうなると何十万字もあるような大作より、行き帰りの通勤電車で読めるような『少し長めのショートショート』くらいの分量ならば、満員電車の中でネットフリックスやユーチューブを選ばずに小説を読む理由になります。
乗車率が高すぎるとスマホを持った手を正面に持ってこれずに斜めで見るしかない場合がありますが、映像よりは文章の方がその角度に耐えられるというのもあります。

私は電車で容赦なくユーチューブ見てますが、これからの時代になんらかの通信制限がかかり動画が自由に見られない人が増えた場合、小説の需要は増えるかもしれません。
とはいえWi-Fi技術とかが発展するどころか衰退するというのは、なんらかの破滅や破綻が起きない限りは無さそうですし、私も動画を見て家庭料理を作ったりしているので、ネットインフラが壊れてしまうと困ってしまいますが。

いずれにしても、作者も読者も無理なく創作に関われるような世界になればいいなと思います。

なんだか長くなってしまいました。
『ミステリーの書き方』で、『50枚と指定されたら、俺たちは50枚で書くしかなかった。どんなに書きたいことがあっても削った。最後のマスに句点をめり込ませるつもりで書いた」とありました。
私も文章を削る技術をもっと身につけたいと思います。

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