※今日の更新は小話だけです。
1.
https://kakuyomu.jp/users/freud_nishi/news/11773540548869127592.
https://kakuyomu.jp/users/freud_nishi/news/1177354054886919775=====================
夜の執務室に、少女と青年の声が交互に響く。
「タマリスでの荷運び竜(ポーター)使用税の増税の可否」
「不可」
「御座所より支度金増額の請願」
「条件付き可」
「三件の神殿から免税に関する嘆願書」
「形式的なものだ。可」
竜王リアナが書面を読みあげ、王太子デイミオンが可否の判断をする。それをリアナが書面に記し、玉璽を捺す。その繰り返しが、えんえんと続けられていた。執務机できまじめに書面を読むリアナと逆に、青年大公は休憩用の椅子に座って温かいシチューを口に運び、その合間に短く返答していた。
なぜこんなことになったのかといえば、やはり、蟹なのだった。
閣僚たちが広間で蟹を味わっている場に、デイミオンが姿を現さなかったので、リアナは仕事中の彼にも味わわせてやろうと思ったのである。
仕事中でも食べられるように身を剥いて温かいシチュー仕立てにしてもらったものを、みずから執務室まで運んだ。まだ書類が残っていると渋る青年のために、彼女が業務分担を申し出た。その結果が、冒頭につながる。
リアナの読みあげは続く。
「イティージエンの租税債権を国庫から購入することの可否」
「不可」
「タマリス東区にある導水管の修理の申請」
「可。その書類は脇にどけておいてくれ」
「工事日程が各種行事とかぶらないか、確認をする?」
「そうだ」
書類の分担はなかなかうまく運んだ。
つい先日まで王座をめぐっていがみあっていたことを考えると、二人の関係は驚くほど良好といってよかった。多少、親密さが過ぎると考える者もいるくらいだった。世の不思議と言おうか。なんだかんだがあって、国王リアナにとっては黒竜大公かカスタードクリームのベリータルトかというくらいまで好感度が上昇していたのであった。
しかし、さて、黒竜大公のほうは?
シチューを運ぶ男性らしい骨ばった手や、歯並びの良い口もとや、横からみるとことさら整って見える鼻筋やらを、彼女はじっと見つめた。……よかろう、大変な美男子である。だが、しだいにシチュー本体のほうが気になってきた。小さめの陶製のポットにパイ生地がドーム状にかかっていて、それを割るとなかにほかほかしたシチューが入っている。
あの中身も蟹なのだろう。きっとおいしいに違いない。
リアナの熱視線に気づいたらしいデイミオンが、シチューを運ぶ手を止めた。
「食べたいのか? ……おいで」
リアナの頭上に感嘆符(!!)が浮かんだ。視線に気づかれたのもそうだし、それに聞き間違いでなければ、あのデイミオンが「おいで」と言ったのだ。リアナのほうは、黒竜大公に近寄りたいとときどき思うことがあるのだが、彼女が知るかぎり、彼がリアナにそういった種類の許可を与えたことは一度もなかった。なにかおそろしい天変地異の前触れでなければよいのだが。
驚き半分どきどき半分で、リアナは野生動物のようにそろそろと彼に近づいた。
椅子には二人分の余裕があった。
匙を動かされたので、リアナは巣の中の雛のように反射的に口をあけた。湯気をたてるひと匙がゆっくりと近づいてきて、口の近くまでやってきたかと思うと、――まわれ右をして離れた。匙の中身はデイミオンの口のなかに入った。
「なに、いまの」リアナは冷たい声で言った。
「なにって」デイミオンはにやっとした。「気が変わった」
「くれると思ったから来たのに!」
「悪い悪い、次こそやるから、ほら」
が、次のひと口はなかなか来ない。匙がふらふらと動き、デイミオンがからかいリアナが怒りをためるという構図が二、三往復続き、腹に据えかねた彼女はクッションで彼の脇腹をぶった。
「こら、やめろ」
「性格が! 悪い!」
「よせ、こぼれるだろ……」
**
と、ノックの音がして、シチューをめぐる小さな諍いは中断された。
「デイミオン、夜食を持ってきたけど……」
ワゴンを押してきたのは、フィルバートであった。
「フィル、聞いてよ、デイミオンがね」
「聞かせるほどの話か? こら、肘を掴むな」
「あきれたな、料理の取りあいなんて」状況を察したフィルが、言葉どおりの表情で言った。
「すこしくらい陛下に分けてあげたっていいだろう? たかがシチューくらい……」
「いや。今やろうと思っていた」デイミオンは頑として言いはった。
「そう?」
「ああ」
「そんな感じじゃなかった!」リアナは主張した。「くれる感じじゃなかったもん」
「くれる感じでしたとも」デイミオンは馬鹿にしきった声で言った。「いいから口を開けろ、ほら開けろ」
「急にやめてってば、あっ、熱い! そんなに入らない!」
完全に子どものケンカの様相を呈している王と王太子に、護衛の青年は「ふう」と息をついた。銀器の覆いをとると、新しいシチューがもう一皿現れた。
「食べたかったの?」リアナに向かって言う。「……こっちのをあげるから、ケンカしないで」
だが、少女は「だめよ、それはフィルのぶんだもの」と言った。
「そうだな。こいつは広間でたらふく食ってから来たんだ。おまえはどうせ食べてないだろう」デイミオンもめずらしく追随した。
「食べて。フィル、パイ包みのシチュー、好きでしょ?」
「えっと」フィルは面食らった顔をした。「あの……」
「違った?」
「いえ。好きです」
ほらやっぱり。リアナは食事中のフィルを注意深く観察したので、知っているのである。とにかく秘密主義な青年なので、食べ物の好き嫌いくらい知りたかったのだ。フィルは不思議そうな、少し決まりが悪そうな、そして少しうれしそうな表情をした。
「好きなものを譲っても、いいことなんかひとつもないわよ」リアナは姉ぶった口調で言った。
「もらったほうはなんとも思わなくても、あげたほうはあとでいろいろ考えちゃうのよね。あんなもの、本当は別に欲しくなかったとか。そういうのは、精神的に不健康よ」
「そうかな」
「そうよ」
リアナは勢いこんで言った。きょうだいがいればこういうことは自然と身に着くものだが、デイミオンとフィルはどこか他人行儀なところがある。ここは子どもの多い隠れ里で育った自分が教えてやらねばと思ったのであった。
「じゃ、俺も好きなものは譲らないようにしよう」フィルがにっこりした。「たとえ、デイミオンにでも」
「その意気よ」
デイミオンが匙を動かした。「蟹の話だよな?」
蟹の話であった。このときはまだ。
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・おまけ(ルーイとミヤミ)
夜の使用人棟にて。
非番のため、相部屋でゆっくり過ごす侍女たちのもとに、国王からの夜食が届けられた。小さめの蟹の甲羅に入ったグラタンだ。貴族たちの食卓にのせられないサイズなのだろうが、小さくても味はおいしいと料理長が請けあったので、ルーイとミヤミはよろこんでお相伴した。使用人用の厨房で焼いたばっかりのあつあつで、蟹の身と米を混ぜた具の上にホワイトソースがかかっていて、王城でもめったに食べられない贅沢な一品だった。ルーイはいそいそと食卓を準備し、ミヤミは蟹についてのどうでもいいウンチクなどを語りはじめた。
「もし……巨大な蟹と戦うことになったら……ハサミの間合いの外から狙うことが大切」
ミヤミは腰を落とし、両腕をわさわさと振った。「……わたしならこう倒す。まず、甲羅の両端から羽交い絞めにして……こう!」
「ミヤミ、いまはそれいいから」
「あるいは、目と目の間に踵落としをお見舞いする。その際は……こう!」
「ミヤミ、いいから早く食べて。お皿が片付かないでしょ」ルーイが冷たい声で言った。
グラタンはおいしかった。
〈終わり〉
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・おまけ部分のミヤミが一番気に入ってます。