応援やコメントありがとうございます。
31話は明日、9月7日7:00更新の予定です。ちょっと息切れしました。
代わりに、レビューお礼用の小話として考えたものの、ボツになった小ネタを置いておきます。2~3話続くかも。
試験前に、なぜか部屋の掃除をはじめてしまうようなものとお考えください。
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SS 『蟹と冬至節』
(※第一部と第二部のあいだ、リアナが即位したての冬の出来事という設定です。)
冬の掬星城は遠目にも美しい。山がちで寒さの厳しいタマリスの、城下の灯りにぼうっと浮かびあがっている様が、天空にある城のように見える。城下を行きかう人々は吹く風に首をちぢめ、窓と円柱の形に点々と抜かれたオレンジの灯りをあおぎ眺めたりしていた。
最上階にある〈王の間〉は、音楽とにぎやかな声で満ちていた。音楽といっても、素朴なフィドルやフルートが主で、貴族たちが手慰みに弾いているのだった。若く、はつらつとした女王があらわれると場はいったん静まり、乾杯の合図を終えてまた歓談の声がはじまった。今夜は冬至節なのである。
今夜の主役はしかし、戴冠したての王リアナではなかった。場の中心に巨大な長机が設置され、バケツのように大きな高坏(たかつき)が、いくつも鎮座している。
その前に立つのは白い長衣もまぶしい〈白竜公〉メドロートで、かれは王に向かって、「来(こ)」と手招きした。
「まんつ、蟹さけや」
「かに……」オンブリアの新しい王、リアナは寄っていき、興味津々につぶやいた。「これ、食べ物なの? 大きな虫みたい」
高坏に山盛りになったそれを眺める。エサル公の竜みたいに赤くて、とげとげがあり、鎧じみた固そうな殻に包まれている。あまりおいしそうには見えない。
「んだがし」
メドロートは小さきもの全般に向ける慈愛の顔つきでうなずき、「け」と言った。身ぶりと顔つきで言いたいことはわかるが、あいかわらずの北部なまりだ。寒いところは口を開ける回数を少なくするようにしゃべるのかしら。
リアナは差しだされた細長いなにかをじっと観察してから、おもむろに口をあけた。
「これが蟹……」
しばらく口のなかで味わってみる。魚に似た味だが、もっと甘くて弾力がある。「……おいしい」
メドロートはそんな少女を眺め、うなずいた。
「いまっと食(け)」
食べだすと夢中になる味だ。それに、集中しないと食べづらくもある。汁が垂れないようにあごを上げ下げする少女に、メドロートは「めんげなぃ」と目を細めた。
*
蟹、おいしい。
タマリスに来てはじめての味覚に、リアナは雷に打たれたような天啓を感じた。見た目は不気味だが、大変美味である。
しかし、食べ方がまだよくわからない。蟹の身は固い殻や甲羅に包まれているので、それを割らないと、食べられないのだ。メドロートに頼もうとするが、場の中心でほかの閣僚たちのためにさばいてやっていた。固そうな殻を拳で「ぶしゃあ」と割ると、男性たちが歓声をあげて、楽しそうだ。エサル卿も面白がって甲羅割りに興じている。
自分が頼んでは興ざめになるかもしれない。
それに、あんな感じに力が要るのなら、適任者がほかにもいそうな気がする。たとえば。
「デイミオンはっと……」
広間のなかをざっと見わたしてみるが、黒竜大公の姿はなかった。最近は彼の行動パターンもだいぶんわかってきて、どうやらまだ仕事をしているらしいとリアナは推測した。あとで蟹を持っていってあげようと心にメモした。ファニーや、あと侍女たちにも食べさせてあげたい。とてもおいしいので。
「じゃ、ハダルク卿……」
声をかけようとしたが、当のハダルクは五公の一人、グウィナ卿のそばに侍(はべ)っていた。ハダルクが静かに殻を剥き、美しい赤毛のグウィナはシャンパングラスを片手に、優雅にその身をつまんでいる。今夜はシンプルなベージュのドレスで、背の高い彼女によく似合っていた。
「お楽しみいただいていますか?」リアナは近づいていって声をかけた。
「幸せを噛みしめていますわ」グウィナはうっとりと微笑んだ。「誰かに食べ物を支度してもらうのって、なんて贅沢なんでしょう。子どもが一緒だともう、食べさせたり食べ物で遊ぶのを叱ったり食べこぼしを拭いたり、自分が食べる暇もありませんものね」
「よかった」グウィナはきわめて身分の高い女性なので、子どもは乳母にまかせていてもおかしくないのだが、話の端々に世話をしているらしい部分が出てくるのがリアナは好きだった。
楽しそうだから、邪魔しないようにしよう、と彼女は思った。さて。
(続くかも)