(ネタバレになるので、できれば『(非)現実的なテーマ』を読んでから読んで欲しい)
昔の作業ノートを見返して一つの着想を得た。
人が時とともに成長するというのは近代の進歩主義的思想に毒されていると言わざるをえないが、少なくともノートを読み返すまでの僕はその毒に侵されていた。
昔の僕曰く、「崩れかけの塔は崩れる」らしい。簡潔な文だが、伏線の本質をついているように思える。
前に伏線について少し触れた。伏線にはいくつかの種類があるように僕は思っている。今はまだ分類できるほど考えをまとめられていないが、3つは種類があるように思う。突貫工事のような大雑把さで言えば、明示的な伏線、暗示的な伏線、叙述トリックによる伏線だ。
崩れかけの塔で言えばこうだ。崩れかけの塔を素直に紹介するのが明示的な伏線。崩れかけの塔の存在を巧妙に隠し続けるのが暗示的な伏線。補強がされた普通の塔をいかにも崩れかけの塔と見せかけるのが叙述トリックによる伏線だ。
『(非)現実的なテーマ』においては、叙述トリックを主に用いた。読み手の常識的な読み方に任せるこの手法は、多分相当の危険を孕んでいる。
もとより伏線というのは、いかにバレないよう細工するかという綱渡りようなものである。先の明示的にせよ暗示的にせよ、読者はその細工に気づいた時、しめしめと思うものだ。筆者はこれで俺を騙せたつもりだろうがそうはいくまい。そしてそのメンタルを逆手に取ってコントロールするのが筆者の腕の見せ所とも言える。フェイクを仕掛ける技だ。
一方の叙述トリックが渡る綱は一本ではない。バレるかバレないかともう一本。そう読んでもらえるか、もらえないかだ。叙述トリックの伏線はバレてはいけない。バレたあとにそれをひっくり返すギミックがあれば別だろうが、ふつうはバレると台無しになってしまう。日常会話で友人に催眠術をかけるよう(そんなことをした人間はきっといないだろうが)に、慎重に少しずつ読み方を誘導する。あなたがそう読んでしまっただけで、私ははじめから正直に書いていましたよという顔をするのが大事なのだ。読後に自分のその表情を読者に叩きつける感覚。それを味わうだけのために意地の悪い文章を書く。
問題はこれにかからない人がいることだ。どうやっても催眠術がかからない人というのはいる。こういう友人が一番厄介だ。騙すのに困る!(僕が友人に催眠術をかけたことは誓って無い)
結局そういう人たちに筆者は幻を見せられることはなく、彼には淡々と続く文章とその当然の帰結だけが待っている。だから多くの人たちが気持ちよく騙されてもらえるよう、少しでも技術の研鑽を図る。
しかし、すべての人間を意図通りに誘導できないことを僕は知っている。
叙述トリックはそういう人たちを切り捨てる文章である。そのことを重々承知していなければならない。
それと、『(非)現実的なテーマ』で皆を騙せたら、僕は催眠術師になろうと思う。