『タイムマシン』を読んでもらった家族や友人から思っていた以上に好評を頂けたので嬉しい限りです。星新一っぽいと一部で言われましたがその通りです。
普段僕はあまり小説を読まない(1年に1冊程度)のですが、シナリオの勉強に星新一さんの小説は最近いくつか読ませてもらっていました。しかも僕はもともと人の影響を受けやすい質です。というわけで必然、一番馴染みのある小説家である星新一さんの色が、僕の作品から滲み出ないわけがないのです。(いえ、滲みすぎているのは問題です!)
どんなものでも、同じ出来ならシンプルであるほど素晴らしい。それが僕の考えです。
その点、星新一さんの短編は一つの物語形式として完成しているよう見えます。さり気なく張った伏線を最後に見事回収する。さらにその技をたったの数ページのうちに繰り出す様には圧倒されます。シナリオに関わる人間のひとつの理想形ではないかと僕は考えます。少なくとも僕にとってはそうです。
物語においてオチとは非常に重要です。今回の主題は星新一さんとは直接に関係がありませんが、星新一作品が完成された一つの作品として存在する理由はまさにそのオチの秀逸さでしょう。ではオチを秀逸たらしめるものとは?そう、伏線です。秀逸なオチは秀逸な伏線に宿るものなのです。
さあ今回の主題、伏線―物語を翻すギミックについて、これから数回にかけて考えていきましょう。
※続きはありません