量子テレポーションは、一度物体を量子に変換してテレポート先で再構成するという考え方だ。SFでよく用いられるものだが、一度分解されて再構成された人間は果たして以前の人間の連続した意識を保っているのか? という話もよく話題にされる。限りなく本物と同じ複製、スワンプマンだ。
しかし、同時にこのような学説もあった。
いわゆるワープホールのように空間と空間を接続するワープも、間を切りとって見てみれば量子化しているように解釈できるだけでどちらも同じことだ、と。
今、ヴァイスが味わっている感覚はどちらなのか分からない。
前後も左右も時空さえも曖昧な光の世界。
僅か数秒なのに、果てしない経験をしたかのような感覚。
気付けば周囲を包んだ不思議な光は消え、その光景が姿を現した。
「――……」
余りにも神秘的な光景に、ヴァイスは人生で初めて感動に言葉を失った。
シュバルトは不本意そうに目の前の光景を手で指す。
「ようこそ俺の秘密基地へ。マジで誰にも言うなよ?」
そこは、この世界ではエデン内でしかお目にかかれない筈の緑が続く広大な空間だった。上を見上げればエデンの天井に投影された青空よりも透明感のある空が広がり、暖かな太陽の日差しが注いでいる。
「ここは……エデン、ではないですよね。エデンにこんな草木はない」
当然として足下に広がる雑草はエデンで管理された植物と似たものもあればどこか違うものもあり、樹木のサイズも明らかに大きい。一部は映像でしか見たことのない実在しないサイズの巨木もある。
ヴァイスの問いに、シュバルトは歩き出しながら答える。
「ノアの箱舟ってところだな」
「旧約聖書に登場する、あらゆる生物を乗せて破滅の大洪水を乗り切った船ですね」
芝生ですらない草を踏んで歩くのはヴァイスには初めての感触だ。
恐らくエデン内のどんな権力者でもこれほど自然な自然を味わえない。
それほどに、ここは生命の息吹に満ちあふれていた。
「この場所はたまたま見つけた。空と太陽は古代魔法で再現されたもので、実際には地下にある。場所と出入り口は教えない。ここは地上の汚染も関係なしだ。前々から俺はここに通っていた。ほれ」
道端の木から果実をちぎったシュバルトはヴァイスに一つ投げて寄越し、もう一つを服で擦ってそのまま囓る。ヴァイスもそれに倣って囓る。
甘酸っぱいが、どちらかといえば酸っぱさが勝ってそれほど美味しい訳ではない。しかし、思えば一日中集中力をすり減らして最後にとんでもない光景に出会ったヴァイスは自分で思った以上に疲れており、食べる手が止まらなかった。
「品種改良されたエデン内の果実と違って原種に近いんですね」
「だろうな。だから人の好みの味になりきってない。それでも毎日グリーンソイ囓ってるよりはいい。そして、こんなものもある」
シュバルトが全く別の木から見たこともない果実を投げて寄越す。先ほどと同じように囓ってみたヴァイスは目を剥いた。
「えっ、牛肉!? ゆでた牛肉みたいな味と食感がする!? 嘘でしょ、木の実なのに!?」
「遙か昔に隆盛を極めた魔法文明の産物か、それともここで暮らしてたヤツの欲望の産物か、もう訳分からん品種改良された木もある」
「……そして、ここには失われた筈の魔法という技術が何らかの形で保存されてるんですね」
「まぁな。それはさっき披露した通りだ」
リテイカーが個人用のテレポート装置など持っている筈はないし、エデンの技術力でも装置は大型化を免れない。それを特に持ち物もなしに実行出来るとすれば、存在するかも分からない超能力か、過去には存在した魔法しかない。
「……凄い」
夢でも見ているかのような、圧倒的な未知の現実。
破壊し尽くされた世界に残された、時が止まったような神秘。
常識の範疇を超える出来事が立て続けに二度も起きたヴァイスは、常識が破壊されたように無邪気にはしゃいだ。
「すごい、すごい、すごい!! こんなの映画でしか経験出来ないって思ってた! そうだ、エデンが世界の全てじゃない! 世界はまだ死んでいないんだッ!!」
(そう都合の良いもんでもないんだがなぁ)
この空間についてある程度調べてあるシュバルトは、彼のはしゃぎように呆れるが、はっとする。そういえば自分も最初にここを見つけた時はかなりハイだった。それも彼以上にハイだった気がする。
やぶ蛇にならないようシュバルトは彼が落ち着きを取り戻すまで待つことにした。