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ちょっと待って落ち着こう。

メモ。
女王の心臓と魂は

 私はか弱く脆い肉体の女性でしかない。だが、私は王の心臓と魂を持っている。

 「『黒太子』がようやく兄と手を組んだか」
我らが女王はわずかに嘲りと哀れみを含んだ、美しくも残忍な笑みを浮かべられました。
「はい。 今になってから必死に味方を集めているようです」私は頷きます。
「戦争は始まる前に勝敗の九割が決まっている。 それに、足手まといの味方は敵よりも恐ろしいものだ」
「はい。 次は誰を『洗脳』いたしましょうか?」
「手はず通りに、『彼女』を」
「はっ」私は敬礼し、女王の執務室から出ようとしました。
「カスパール」
我らが女王にその時呼び止められた私は、忠実にかしこまって振り返りましたが、胸の張り裂ける思いが隠しきれずにあふれ出たのを悟られたのでしょうか、それとも私の思い込みから来る錯覚だったのでしょうか。
私を見下ろす女王の目が、ほんの少し、潤んでいらっしゃったのです。
「命令通りに、だ」
「はい」
私は、そのまま退室いたしました。
歩いてすぐの廊下を曲がった先で、『夜を駆ける者(ナイトライダー)』ヴァン・ヘルシングが目をぎらつかせて私を待ち構えていました。
「おい。 我らが女王と何を話していた」
「極秘任務だ。 今はまだ話せない」
「男でもない癖に気に入られて。 俺はお前が大嫌いだ」
「男が頻繁に出入りしているとなると我らが女王には困ることもあるのだ。 嫌いならそれで構わないが、私が男ではないのは真実(ほんとう)だよ」
「ふん。 昔からだが、いけ好かないヤツだ」
「それよりも、もうすぐ我らが女王のお休みの時間だ。 いつものように、お前が行って不寝の番をしなければ」
「言われるまでも無い」と我らが女王の寝室の方へ歩き出した彼に、私は声をかけました。
「妹御の具合は大丈夫か?」
途端に機嫌が良くなった彼は、単純と言えば単純なのですが、血の繋がった家族のいない私には酷く羨ましい存在でした。
「ルーシーならもう大丈夫だ」
「それは何よりだ」
「ルーシーのことをババアと呼んでいたハーカー家のクソガキもあれ以来ルーシーにべったりでな。 ママ、ママと甘ったれてしょうがねえ。 いびっていやがったクソババアも無視していたクソジジイも人が変わったようにさ。 全く人間なんか適当な生き物だぜ」
「シャンデリアが落ちてきた時に血の繋がらぬ子供を庇って大怪我した妹御の、健気さと深い愛情に心打たれたのだろうな」
「下らねえな。 だが悪くはねえ。 じゃあな」
「ああ」

 神よ。罪を罪とも思わぬ人に、何故罰がありましょうや。そして彼らのどこに救いがありましょうや。己を罪人と分かっている者にのみ、罰も救いも、ひいては地獄も天国も、存在し機能しているのでしょう。
されど私は、紛うことなく罪人でありながら、罰の全てにこの魂を押し潰され、救いの全てに見放されることを切実に望んでおります。
私は地獄に堕ちて、未来永劫、苛まれて苦しみ続けたいのです。
エリーゼが地獄に堕ちることを甘受している限り、私も、その側にてお仕えし続けたいのです。
地獄、おお、地獄よ!
私達にとっては、生きることこそが地獄以外の何ものでもありませんでした。
たった一つの恋を殺さざるを得なかった私達の、末路が生き地獄でございました。
あの恋に殉じていればきっとそれは天国だったでしょう。
ですが私達は愛しい恋を殺しました。殺したその瞬間から、私達の地獄を生きる日々は定められていたのです。
エリーゼ。
エリーゼ、エリーゼ!
私の女王よ。
地獄で再会することが出来ましたら、どこまでも暗い道を寄り添って歩いて行きましょう。何も憚らずにまっしぐらに、地獄の奥底を目指しましょう。そこには殺して死んだ私達の恋の亡骸が、冷たく横たわっておりましょう。
もう少しだけお待ち下さい、私の女王よ。
私は地獄に確実に行くために、今や、魔王になけなしの魂を売り飛ばそうとしております。
「何だお前」と魔王は不気味そうに言うのです。「不老不死になりたいとか、力が欲しいとか、これを守ってくれあれを成就させてくれとか、普通はそう言う建設的な願望を死ぬ間際には言うだろう。 地獄に堕ちたい、それも今すぐに連れて行けだなんて破滅的願望、俺は数千年は生きているが初めて聞いたぞ」
「私は、もう、充分にやるべきことをやった」私は血反吐で周囲を汚しつつも、微笑んで告げます。「彼女の願った未来が数百年後には確実に到来する。 そう言うことをやった。 その代償が私の、この死だ。 だが私が暗殺されたとなると、この屍が見つかったとなると、また跳梁跋扈する輩が出て来るだろう。 だから、」
地獄にこのまま連れて行け。
「分かったよ。 お前の体は俺が喰って、お前の魂は地獄に堕としてやる。 お前を喰えば愛が分かるかも知れない」
「それは、無理だろうな」
唯一の愛を殺した私とエリーゼの愛の真髄を、たかが数千年生きただけの魔王が喰って理解しようなどと、無理無体にも程がありましょう。
「チッ。 忌々しい。 俺は下手したらとんでもない毒を喰おうとしているのかもな」
「さあ、な」と私は最期に言い、そのまま意識が薄れて行くに任せました。
エリーゼ、随分とお待たせしましたね。
私も今、そこへ行きます。

――だからこれは、俺が何も知らない物語であり、俺が何もかも知っている物語である。

 私はカスパール・トロイと申します。魔族の赤ん坊で、どこの誰の子とも分からぬ捨て子でした。ただ、私は誰より恵まれておりました。ヴィルヘルム・ヴァレンシュタイン大公の跡継ぎ、ヴェンツェル様に拾われて召使いとして育ったからです。
私がヴェンツェル様のお館の前で拾われた日は、ヴェンツェル様の長子、ディートリヒ様がお生まれになった、まさにその日でございました。
いくら魔族であれど、捨て子であれど、この吉日だ。特別に召使いとして養育してやろう。
滅相もないくらいに有り難いことでございました。
『大憲章(マグナ・カルタ)』に一三人の大枢機卿の署名が記された日から、魔族は公的な迫害こそ無くなったものの、むごい差別は全く変わってはいなかったからです。『屍喰らい』と言うのが魔族に新たに付けられた名称でございました。この頃は『合成肉』は民間には普及しておりませんでしたから、普通の魔族は生きていくのに死刑囚の肉や、戦場の死骸を食べていたのです。
召使いとして育てられながら、私はよくヴェンツェル様や奥方様が嘆いていらっしゃるのを目にしました。
「ディートリヒがもう少し丈夫だったら!」
「あれではこの軍人の家を継ぐことなど出来ない!」
「おまけにあの年で小娘を追いかけ回している!」
「勉学も嫌がって、本当に呆れたものだ!」
ですから、奥方様が身ごもられた時のお二人のお喜び様は、類を見ないものでございました。
「神は我々をお見捨てにならなかったのだ!」
「何て嬉しい!」
本当に幸せそうに寄り添っていらっしゃったお二人でしたので、私がお二人が実は政略結婚だったと知ったのは、奥方様が産褥でお亡くなりになった後のことでした。
そして、生まれたのはお二人があれほど待ち望んでいらっしゃった男児では無く、女児でございました。
ヴェンツェル様は人が変わりました。元は温厚で、魔族の私を拾って下さるほど度量の大きな方だったのが、少しのことで激怒するようになりました。更に浴びるように酒を飲んでは、私ばかりを殴り、蹴るようになったのです。
屍喰らいめ、貴様の所為でオフィーリアは死んだのだと怒鳴りつけながら。
何一つ私の所為ではないことはヴェンツェル様こそ一番ご存じだったのでしょう。ですが一切合切を私の所為にしなければヴェンツェル様は気が狂ってしまわれていたでしょう。私は、私を怒鳴りつけては殴り、蹴るヴェンツェル様の目がいつも悲痛な色をしておられましたので、抵抗すら出来ませんでした。ヴェンツェル様が奥方様と過ごされたあの幸せな時間を、私もちゃんと知っておりましたから。
私はこの暴虐に耐えました。私には、いつまでもこのヴェンツェル様と私の苦痛が続くものでは無いと言うことがちゃんと分かっていたからです。
奥方様が命と引き換えにお産みになった次子、エリザベート様はとても秀麗なお嬢様で、そしてディートリヒ様とは比べるのも失礼なほど優れた素質をお持ちだったからです。いずれ、ちゃんとヴァレンシュタイン家を継げる才覚を持った殿方を婿入りさせて、エリザベートお嬢様に家督を継承させれば、その時にこの苦難はそそくさと立ち去っていく、その輝かしい未来が私には見えておりました。
 人にも魔族にも、悲しみや苦しみは平等に訪れます。苦難や災厄は不意に襲います。ですが、その先の未来に、ほんの一筋で良いのです、か細く消えそうでも良いのです、ほのかに光明が見えてさえいれば、どれほど私達は勇気と誇りを持って現状の悲惨に立ち向かえるでしょうか。

家庭教師の教えることを十に満たぬ内に全て覚えてしまわれたエリザベート様は、私を供に連れてよく外出されました。そして、馬車の中から外を見つつ、おっしゃるのです。
「どうして魔族を誰もが白眼視するのかしら。 お前のような魔族を見ていると、どうしてもそれが不思議でならないわ」
そこは貧民街でございました。貧民と魔族が混住している、汚らしい場末の街でございます。誰も彼もが貧困に喘いで苦しんでおりました。彼らは汚れていて、臭うのです。飢えと貧しさゆえに犯罪にも手を染めるのです。その彼らに対して私は同じ魔族とは言え、ヴィルヘルム・ヴァレンシュタイン公のお屋敷に奉公する身でしたので、きちんとした身なりで、けしからぬ素行とは無縁でございました。
「いいえお嬢様、私も屍喰らいでございますが、幸いヴェンツェル様のおかげで、私は屍肉でないものを食べることが出来るのでございます」
「屍肉でないもの?」
「はい、合成肉、と言うものでございます。 聖教機構が開発した屍肉の代用品でございます。 美味しくはありませんが、合成肉を食べていれば私達は魔族として生きるに何の不足もありません。 ですが……合成肉はまだ彼らの間には広まっておらぬのです。 合成肉を手に入れられるのは聖教機構の重鎮であらせられるヴェンツェル様や、富裕な方々のみなのです。 何しろ高価なものなので……」
「……まだ合成装置を大量量産していないのね。 恐らく『費用がかさむから』、そんな理由なのでしょう。 魔族に金をかけるよりは人肉を喰わせておけば良いと誰もが思っているのね」
そう言ってお嬢様はぷいと私より顔を背けて、馬車の窓をじっと見つめていらっしゃいました。窓より差し込む光と影の所為で、その横顔がどのような表情をされているのか、私にはいくら見つめても分かりませんでした。ただ、お嬢様がひどく怒っていらっしゃることだけは私にも良く分かったのです。
『魔族が何だと言うの。 人は迫害をしなくなった代わりに屈辱を与えているのだわ』
『一つは既得権益のため、一つは己の頭で考えないため、一つは恐怖のため、差別なんて所詮はそれが起因なのよ』

私は人の思考を読み取ることが出来ました。正確に申しますと、人の脳波を感じ取ることでその人が何を考えているのか、ほぼ正確に把握できたのです。逆に使うことで、人の思考を操ることも可能でした。『人の思考を自在に知り、操る力』、これが私の魔族としての力――『プロメテウス』でございました。
ですが私はこの力をあまり好ましいと思いませんでした。
人には誰にでも踏み入れられたくない領域がございます。見られたくないもの、見せなくないもの、聞かれたくないもの、聞かせたくないもの、人には自分以外に隠しておくべきことが沢山ございます。
私のこの力は、それを無礼にも土足で踏みにじるものでありました。
ですので、私は、この力をいつも意志でぐっと抑圧して過ごしていたのです。
更にこの力を誰かに打ち明けると言うことも決してしませんでした。打ち明けた所で、不快に思われる方はいらっしゃっても、私の性根が素直でよろしいと思って下さる方は一人もいらっしゃらないのは明白でありましたから。
それに私は、本性がまるで悪魔のようにねじ曲がった魔族でありました。
この力に目覚めたのは、お嬢様が産まれて間もなくのことでしたが、悪用することをすぐさま思いついたからです。
それは洗脳、刷り込み、とでも言うべき酷い悪行でした。
私は何と、己の命の恩人と言っても過言では無いほどにご厚恩あるヴェンツェル様を何年もかけて洗脳したのです。それは、お嬢様の長所や美点を、そっとそっと、少しずつ、ヴェンツェル様の頭の中に小刻みに刷り込んでいくと言うものでした。
奥方様を殺したのはエリザベート様だと自覚もなく思っていらっしゃったヴェンツェル様は、一度も彼女に娘として接したことも、愛したことも無かった。
エリザベートお嬢様はヴェンツェル様に愛されたいがために、常に無理をして聡明で利発な『お嬢様』を一生懸命に演じられていたのにも関わらず、です。
……もしかすれば、私はこの頃には既にお嬢様を愛し申し上げていたのかも知れません。ですがこの頃の愛はまだ異性への愛では無く、私を『人』として扱って下さるお嬢様への感謝と喜びから生まれた愛情だったように思います。
ヴェンツェル様にこの効果が出ましたのは、お嬢様が一七歳になられました、正にその日のことでした。
「話がある」とヴェンツェル様はお嬢様を応接室に呼び出しました。私はこの時、自らの悪行に対して完全に慢心しておりました。何故なら応接室にはやんごとなきご身分の、貴公子と呼ぶべき麗しい青年がいらっしゃったからです。ゆくゆくは聖教機構の重鎮におなりになる御方でございました。ヴェンツェル様がご紹介なさります、
「お前の婚約者のエドワード・オブ・ウッドストック殿だ。 御祖父にはかのデルヴィエール卿がいらっしゃる。 ご挨拶なさい、エリザベート」
しかし私はこの時驚きました。それはエリザベートお嬢様からとんでもない感情を感じたからでございます。
「お断りしますわ」
エリザベート様は激怒していらっしゃいました。
「エリザベート!」ヴェンツェル様が血相を変えました。ですが咄嗟にお顔を繕われて、「こら、恥ずかしがるのもいい加減にしなさい!」
私は唖然としておりました。お嬢様がここで「はい、こんにちは」と微笑んで言えば間違いなくお嬢様は幸せになれるのです。それが英明なお嬢様に分からぬはずはありません。なのに、何故?
「いえいえヴェンツェル様、初対面でこの年頃の娘御に恥じらうなと言う方が無理でしょう」
まだ何にも分かっておらぬ貴公子が呑気におっしゃいます。
「僕はまた来ますので、その時には色よい挨拶をお願いしますよ」
「申し訳ない、『黒太子』殿。 不出来な娘で、本当に……」
「いやいや、これほど美しい姫君なのです、無調法なことは出来ませんよ。 ご心配なく」
「ご厚意感謝致します」
そして貴公子はご機嫌で去って行きました。私は唖然としつつも、お嬢様の激怒の原因を探ろうといたしました。ですが事態はそれではもはや収まらぬ所に達していたのです。
「お父様」エリザベート様は冷静におっしゃいました。「今まで一度も私と言葉を交わしたことさえないお父様が、今まで一度も言葉を交わしたことすらない男を私の良人(おっと)にするおつもりか。 それはあまりにも身勝手と言うものでございますわ」
「お前は莫迦か気狂いなのか! お相手はかの『黒太子』殿だぞ!? お前がはいと頷いて『こんにちは』とさえ言っていればお前も私も幸せになったのだ!」
「お父様、貴方が私を娘として一度でも愛して下さっていれば私は従順にそうしていたでしょう。 貴方の政略結婚の道具となることに、むしろ喜んで。 ですが貴方は私を一度も娘として扱って下さったことは無い。 何故そんな貴方のために今更『はい』と頷いて『こんにちは』と言わねばならないのか、ご説明をお願い致します」
「この親不孝者が!」
平手が飛びました。お嬢様が倒れました。お嬢様、と私は咄嗟に叫んで駆け寄りました。
私は私が引き起こした大失態におののき、青ざめておりました。
私のヴェンツェル様への刷り込みは大失敗に終わったのです。そうです、二人の人間がいて、二人とも幸せにしたいのにその片一方だけ洗脳するなど、あまりにも愚かでございました。私は、お嬢様をも洗脳しなければならなかったのです!
お嬢様は、抱き起こそうとした私の手を振り払い、冷徹とも言える目をして、こうおっしゃったのです。
「私を初めて娘として貴方が思っておっしゃった言葉が、それですか」

男は理性的に怒り、女は感情的に怒るものだと私は聞いておりました。ですが親子というものは、それを時として逆転させるものなのでしょうか。捨て子の私には全く見当が付きませんでした。ただヴェンツェル様は感情のままに怒鳴り散らし、お嬢様はただじっと、冷えた目でヴェンツェル様を見つめていらした。ヴェンツェル様は最後にこう言い捨てました。
「お前はどの道何があろうと『黒太子』殿の妻になるのだ! それがお前の人生だ! このヴィルヘルム・ヴァレンシュタイン家に『黒太子』殿が婿入りして下されば、何も問題は無いのだ!」
そしてお嬢様とあまりの事態に動けぬ私を置いて、応接室を乱暴に出て行かれました。
私が今更洗脳した所でもはや間に合いません。ヴェンツェル様の洗脳には念を入れて数年をかけました。ですがお嬢様をこれから洗脳するには、もはや時間はございません!時間的猶予など皆無です!
おお、神よ、これが私の罰でございますか。主を裏切った私への、神罰でございますか。
私は幸せにしたかった二人を、親子を、仲違いさせると言う不幸に陥れたのです!
「お嬢様、どうかお許し下さい!」
そして悪辣な癖に意志薄弱な私は、もう良心の呵責に耐えきれませんでした。
「お許し下さいって、お前が何をしたの?」お嬢様は優しい声でおっしゃいました。「お前は何も悪くは無いわ」
ここで感情に任せ、八つ当たりでお嬢様が私を責めて下されば私もまだしらを切り通そうと無理を貫くことが出来たでしょう。ですが違った。堰が切れたように、私は己の悪行を白状しておりました。
「……お前は私とお父様を幸せにしたかったのね」お嬢様は私の大罪を知っても、まだ優しくおっしゃって下さるのです。「方法を間違えただけよ、その気持ちは嬉しいわ」
「お嬢様……!」
「だからお願いがあるの」
とお嬢様は相変わらず優しい微笑みを浮かべていらした、ですが、微塵たりとも優しくは無い思考をしていらっしゃいました。それは私を用いて、とんでもない大罪をお嬢様が背負うと言うものでございました。しかし今の私に何の否む力がございましょう。私が全て悪いのです。そして悪の種は一粒ばらまかれますと、凄まじい勢いで蔓延り、いくら正義を用いても根絶やしにすることは断じて不可能なのです!
罪悪感ゆえに私はまた悪辣さを取り戻し、そして覚悟と言うものを決めました。
神よ、どうか私の魂は地獄のもっとも冷暗な奈落へ堕として下さいまし。

 ヴェンツェル様がお亡くなりあそばされたのは、それから間もなくのことでございました。ディートリヒ様の放埒を叱っている内に頭に血が昇られたのでしょう、突如として倒れておしまいになってからあっという間に……でございました。
盛大に、しかし粛々と葬儀が執り行われました。
その後で、ヴィルヘルム・ヴァレンシュタイン家はディートリヒ様がお継ぎになることが決まりました。
エリザベート様は大変落ち込んでしまわれて、喪に服されて全く人と会おうとはなさりませんでした。『黒太子』殿が慰めのために訪れていらしても、決してお部屋から出ていらっしゃることはありませんでした。
それが半年も続きましたので、私は召使いの分際ではありましたが、密かにエリザベート様を慰めるための宴を催すことをディートリヒ様に提案いたしました。
「あ? 何で僕がそんなことを……」ディートリヒ様は渋い顔をされました。
「御当主様、エリザベート様が元気になられましたら、きっとご多忙な御当主様を手伝って下さりますでしょう」
私がこう言いましたのは、ディートリヒ様がご婦人がたと遊びたくてたまらないのに、執務の所為で時間が取れないので苛立っていることを知っていたからです。
そして怠け者のディートリヒ様ですから、自ら宴の手配をされることは決して無いとも。
「そうか、だったら特別にしてやろう。 だが僕は忙しい、お前が支度しろ」
「はい、承知いたしました」
私は精一杯宴に招く方々を吟味いたしました。ヴェンツェル様に年頃が似ている方々はいけません、お嬢様がヴェンツェル様を思い出されて余計にふさぎ込んでしまわれます。老人の方々もいけません、心が弱っているお嬢様に年寄りの説教や訓示をされてしまっては逆効果ですから。
いつの間にか宴の人選は、お嬢様のご友人になっていただけそうなうら若きご令嬢、いらっしゃるだけで場が明るくなるであろう見目麗しき御曹司の方々になっていました。
宴の日がやって参りました。私は、招待状を手に手にいらっしゃった方々を、大広間へと案内しておりました。やがて全員がお揃いになり、料理や楽団が準備を整えて、後はお嬢様がいらっしゃるだけになりました。
「中々いらっしゃいませんわね」
そうおっしゃったのは、『天使のパウラ』と憧憬を込めて呼ばれる美しき貴族のご令嬢、パウラ・プラトーノヴナ・ツァレンコ様でございました。いずれは大きな女子修道院、もしくは教会の長になられる御方でございます。華やかな白百合をあしらった刺しゅうの清楚なドレスと言い丁寧に結われた金の髪と言い、本当に天使のようでいらっしゃいました。
「御父君を亡くされてからふさぎ込んでしまわれているのだろう?」
心配そうにおっしゃったのはオーウェン・オーガスト・ジェレマイア・クロムウェル様でございます。『黒太子』殿の一番の親友でいらっしゃいまして、少し癖のある赤髪がいかにも陽気そうな、好青年でいらっしゃいました。
「ああ、一度も顔さえ見せてはくれなかった」『黒太子』殿が嘆息しました。「あれほど美しい姫はそうそういないと言うのに、花の盛りを無駄になされて、悲しい限りだ」
「あら、美しい方ですの?」くすくすと意味深に笑ったのはパウラ様でした。「私よりも?」
「白百合と紅薔薇のどちらが美しいかと訊かれて困るのはどこの男も同じだろうよ」と『黒太子』殿は優雅におっしゃいました。
「俺は両手に花の方が嬉しいかな!」と陽気にオーウェン様が言われまして、場は少し笑いの雰囲気に包まれました。
「それにしても主役が来ないことには宴も何も……」
誰かがおっしゃいまして、ディートリヒ様も待ちきれなくなったのでしょう。
「ふふん」ディートリヒ様は好色そうな笑みを浮かべて、特に美しい令嬢の方々をねっとりと見つめつつ、私に、「おい、早く呼んで来い!」
「ただちに行って参ります」
「すぐに連れてくるんだぞ」
「承知いたしました」
それで私はお嬢様の部屋に向かいました。着きますと、準備しておりました黒いハンケチをそっとドアの下の隙間からお嬢様の部屋に差し入れました。
「……来たのね」お嬢様の小さな声に、私ははいと答えました。
「手はず通りに、オーウェン様もいらっしゃっております」
「それは重畳。 今、行くわ」
そして、部屋の扉が開けられた時、私は思わず、あっと息を呑んでおりました。
お嬢様は夜よりも漆黒の喪のドレスを着ていらっしゃったのです。まるでそれは、この世で最も美しい白亜の大理石の彫刻に黒い悲哀が音も無くまとわりついているような、酷く色合いが不自然でありながらたまらなく感動的で心奪われるお姿でございました。
お嬢様がお綺麗な方であることは、勿論長年お仕えしていた私は承知しております。
ですが、これほどにお美しい方でいらっしゃったと知ったのは、初めてでございました。
顔に黒いヴェールを下ろされて、お嬢様は歩き出しました。私はその先導を務めて、大広間の扉を開けて、お嬢様のお姿をお集まりの方々にお見せいたしました。
特に女性が、お嬢様の内側の美しさを感じ取ったのでしょう、うろたえるのが分かりました。
「お

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