史上ただ一人、ヴィルヘルミナ・ヴァレンシュタインと呼ばれた女の一生の物語。戦争と愛の物語。
時代は中世末期から近世初期、聖教機構成立よりおよそ半世紀後。
魔族は未だ激しい差別を受けていたが、聖教機構の対立組織『万魔殿』も巨大勢力として成立しつつあった……。
ヴァレンシュタイン家で兄ディートリヒに次ぎ、2番目に産まれた少女エリザベート。
彼女は幼い頃から英明に育つが、そこに家族の愛は無かった。
母親を産まれた時に無くし、父親は彼女を娘として一度も愛することなく政治の道具として扱う。大貴族の青年『黒太子』に嫁がせることを彼女が15才の時に勝手に決めてしまうのだ。
これにエリザベート(以降エリーゼ)は反発、己に忠実な魔族の召使いカスパールを使って妨害する。
黒太子と結婚しないために父親を殺させるエリーゼ。喪に服している間に別の貴公子と親しくなるエリーゼ。そして彼を黒太子と仲違いさせて殺し合わせ、黒太子が生き残ると嘆き悲しんだふりをして一生結婚しないと宣言するエリーゼ。
兄に家督を継がせて操り、傀儡にするエリーゼ。自ら戦場に立つが、女だからと指揮をさせて貰えずにぼろ負けするエリーゼ。
その経験から、エリーゼは魔族の軍隊を編成する事を思い立つ。己を女だからと差別しない者を己の兵士にするのだ。カスパールはその側に常にいた。だがエリーゼは戦場で過酷な目に遭い、心を傷つけられていく。それでも戦う彼女を常に支え、心から愛するようになるカスパール。だが両者の恋は叶わない代わりに永遠を勝ち取る。
魔族の軍隊は人外の軍隊と呼ばれ、恐ろしいほどの強さを誇るようになる。黒太子はこれを妬むようになる。
聖教機構内でも強力な権力をつかみ取ったエリーゼは、子供を沢山作った代わりに何もしてこなかった兄を家督から追放し、己がヴィルヘルミナ・ヴァレンシュタイン、通称『処女王』となる。
追放された兄は黒太子に泣き付き、黒太子とエリーゼはついに真正面から対立する。仲間を増やすためにツァレンコ家の聖女パウラと親しくなるエリーゼ。それは同性愛の関係をも含むものだった。元から同性愛者だったパウラはエリーゼに惚れ込み、パウラを恋人としていた黒太子をついに裏切る。
エリーゼ、パウラと二度も女に裏切られて絶望した黒太子は『女の癖に』で始まる長い遺書を残して死ぬ。自殺者として蔑まれる黒太子を、エリーゼはただ一人『宿敵』として認めるのだった。兄は性病をこじらせて死ぬ。
そしてエリーゼは兄の子供の中でも最も臆病で最も馬鹿にされていたクローヴィスを己の養子にして徹底的に鍛え上げる。魔族の軍隊は彼女の命令しか聞かなかった。それを止めさせ、クローヴィスをエリーゼの跡継ぎとして認めさせるために、エリーゼの意志を継がせるために。そして何より魔族の地位の確立のために。
魔族の軍隊は強さこそあったが、地位が無かった。地位を獲得するためにエリーゼは『特務員』に彼らを組み込む事を画策する。そして魔族初の特務員となったのはカスパールだった。難しい任務を仲間を助けて次々と成功させていくカスパールは、最初は同僚から、そして周囲から徐々に認められていく。
だが、エリーゼはこの頃にはもう老境に達していた。そして青年クローヴィスは見事に魔族達から軍隊指揮官として認められるようになっていた。『剣王』と呼ばれるようになったクローヴィスに己の全権限全権力を譲渡し、引退するエリーゼ。彼女は間も無く病の床につく。
カスパールは特務員の上長になっていたために、多忙でろくに見舞いにも行けない。
それでも仕事の合間を縫って来るカスパールに、エリーゼは言った。私の理想を、頼んだ。カスパールは頷いた。これが両者の逢瀬の最期になった。
エリーゼは夜明け前、パウラとクローヴィスに看取られて死んだ。最期の言葉は、やっと、夜明けが、だった。
それから数ヶ月後、カスパールはエリーゼの眠る墓地を訪れ、誰も聞かぬ愛と決意の独白をする。
自殺は、大罪だそうですね。永劫に地獄に堕ちて苦しむのだそうですね。
それでも私は、今ここで自殺したいのです。
貴女の眠る、この静寂な墓廟の御前で、我が首を掻き斬りたいのです。
私は貴女をお慕い申しておりました。
貴女は強かで、狡猾で、残虐で、居並ぶ誰もが圧倒されるほどに美しくあそばされた。
貴女は正に『処女王』と呼ばれ覇を唱えて君臨するに相応しい御方でございました。
でも本当の貴女は可憐で、優しくて、清らかで、この世界で恐らく一番目に哀れでいらっしゃったのです。
私はその貴女が誰よりもおいたわしく、誰よりも誇りでございました。
……どうかこの愛の切なる告白が静かに眠る貴女の妨げになりませぬよう、私は祈っております。
どうか、安らかにお眠り下さいまし……。
ああ、男女の愛のために死する者は何と幸せなのでしょう。
何と愚かしくも純真で一途なのでしょうか。
気が狂いそうに貴女をお慕い申しておりますのに、私は死ねないのです。
死が恐ろしいのでは断じてありません。
むしろ私は絶望的に恋い焦がれております。死に、死ぬと言う事に!
貴女への愛のために殉じる事が出来るのならばと、魂の奥底より憧れております。
ですが、今、私が死ねば、貴女が生涯を賭して成し遂げられた事、それが危うくなるやも知れぬのです。
それだけは、それだけは、貴女がその命をその人生をなげうって行われた事が後の世になってから否定されるなど、私が耐えられはしないのです。
『人間と魔族の共生』
貴女が一生涯追い求め、やっと曙光を浴びたばかりの理想が否定される夜が、今、私が死ねばすぐにでも来てしまうやも知れぬのです。殻を破って生まれたばかりの雛を温める者がいなければ、雛は凍えて死んでしまうでしょう。
それだけは、それだけは、決して!
おお神よ、私は罪深い身の上でございます。
人体を喰わねば生きていけぬ、魔族でございます。
ほんの半世紀と少し前まで石つぶてで追われ、火刑台で焼き殺されるのが宿命の亜人類でございました。
この今とて、その偏見と悪意は根深く残っております。
これが完全に無くなるには、これより何百年もの年月を経ねばならないでしょう。
ですが、完全に無くなる、遠い遠いその日がやっと今、何百年後の先に見えたのです。
いえ、貴女が、貴女の存在が、遠いその日を数多の願いと戦いの果てに創造したのです。
愛した貴女が最期まで望んだ未来の『ある日』、私にはその日の到来を死ぬまで守り抜く義務がございます。
ですから、私は、二度と貴女には逢いに参りません。
この墓廟にやって来て身勝手な祈りを捧げる事も、貴女の顔を思い浮かべ自らを慰める事も、決していたしません。
その代わりに、私は私の全てを貴女の御遺志のために捧げると誓いましょう。
私は魔族でございます。
人間より、遙かに長く生きる種族の生まれでございます。
殺されるまで、あるいは老いぼれて死ぬまで、私は私の何もかもを貴女の御遺志のために使い尽くす事を誓いましょう。
いつの日にか、などと言う甘い戯言を貴女はお嫌いでいらっしゃった。
ですので、私は今、ここで、貴女に永訣いたします。
貴女を愛しております。
誰よりも、誰よりも、誰よりも!
……もう二度と逢う事は無い、愛しい貴女へ。
さようなら。
そしてカスパールは馬に乗り、一度も振り返らずに墓地を去って行った。
彼らが地獄で再会できたかどうかは、誰にも分からない。
ただ、彼らの悲願は、数百年かけて実現された。
END