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藤色の歩は驕り高ぶっていないんです、実は。

 今週更新した、藤色の心の魔法使いの歩は、魔法使いになる前は、スピリチュアルと言うジャンルの人達は他のものが好きな人達より上とか、魔法使いの自分から見たら、スピリチュアル系や人間は下、と言う感覚は実はよーく読むと無いんです。

 スピリチュアル系の中で、「自分達は不思議に携わっている、不思議な能力がある、不思議に関する知識があるから上」と思っているような言動の方もたまにいらっしゃるのですが、同じ人間同士で、上も下もないはずですし、精神的に上、存在として光なら、人を見下すと言うことはないじゃないか? と言う描写なんです。

 そして、残念ながら自分はライトワーカー、光だと名乗っておいて、信じられないくらい汚いことをするな、と言う方もいらっしゃった、経験が入っています。

 でも、歩はあくまで、すごい人達に追いつきたい、と思っているだけで、そこに上も下もなかった、と言う感じで、魔法使いになってからも、人間を見下してはいません。

 スピリチュアルが上と言うより、人の役に立つものなのでは? と言う思いで、カードを習っていたのです。よーく読むと。

 スピリチュアルとか宇宙理論とかも、納得できる部分があると感じていて、私個人としては、思いの力、と言うのを信じていて、スピリチュアル系の方は、三次元とうまくバランスよく付き合っていくのが良いよね、と言うのがあります。
 
 そこを踏み外した、カード講師の女性が登場すると言う感じかなと思います。

 自分たちは不思議と繋がっている、特別な存在だと驕り高ぶり、光と名乗りながら、常識では考えられないくらい汚いことをする人間像です。

 言ってみれば、一部の都会人が田舎の人を見下していたり、日本人が自分たちより発展してない国の人を馬鹿にしたりとか、自分より容姿が上だと思う人を嫉妬し、下だと思う人を馬鹿にしたり、流行に乗っているのがどうとかと言うので人を判断するのと、同じようなものですけどね。

 そこに上下など存在しないのにも関わらず、です。



 ちなみにコングの刃純は美代子のことを自分もクラシック音楽鑑賞に関心がないだけなら良いけど、自分も鑑賞してなかったくせに、クラシック音楽鑑賞中に寝るのはサイテーと言っているのを、なんだこいつ、と思ってます。
 ただ、クラシック音楽好きの自分は格式高いとかは、思ってないんですけどね。

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