メリークリスマス
いつも読んでくださってありがとうございます。行き遅れの小話を書きました。書きたかったんです。本編が重いので気晴らしに。お読みいただけたら嬉しいです
洞窟にふたりでいた頃のひとコマ
こんなことしてる時間あったかな…なかったとしたら夢ということで
『いつかのひとこま、もしくはふたりとジーンが同時に見た幸せな夢』
◇◇◇
「うんっ」
精一杯の爪先立ちで手を伸ばしても、目当ての果実に手が届かない。指先からまだ間をあけて、綺麗に色づいた無花果の実は知らぬ顔で揺れている。高いところの実しか残っていないなんて。甘い香りだけが降りてきて食欲を刺激する。
諦めきれずぴょんと跳ねると、遊んでいると思ったのか、ジーンが足元にやってきた。
首を傾げ、黒い瞳で私を見上げている。
「ジーン、あなた木登りできたらいいのに……あっ!」
爪先立ちの不安定な体勢で足元のジーンを見下ろしたせいで、ぐらりと視界が傾いだ。
「やだジーンどいて!」
捕まるものもなく、おまけに少し傾斜があった。結果私はラスティの庭で転び、しこたまお尻を打つことになってしまった。
「いた……ああでもよかったわ」
倒れながらジーンを潰してしまうかとひやひやしたけれど、俊敏に避けてくれている。くーん、すまなそうな声と顔で、私のそばに立っている。ほっとしながら黒い首をなでるとジーンは頭を下げ、気持ちよさそうに目をつむった。
「どうした」
「ラスティ! ねえ、あれを取って欲しいの」
外の通路を歩いていたらしいラスティが、座り込んでいる私を見たのか声をかけてきた。丁度よかった。
お尻を地面につけたまま、手を上げて一点を指差す。
「なにを取れだと?」
「あれよ、無花果。美味しそうなのはみんな高いところにあるのだもの」
呆れ顔のラスティは、私の横にくると私の指さす方を見上げてくれた。彼は大きいもの、てっぺんのだって届くわね。
「これか」
「そう、それ」
そして的確に示したものをもいでくれる。
「ありがとう! その少し上のも、そう、それよあと――」
「待て。いくつ取るつもりだ?」
「お腹が空いたの。三つは欲しいわ、あと蜂蜜のある場所を教えて頂戴、見つけられなかったの」
ふたつもいだ無花果を私の手のひらの上に乗せ渡してきたラスティは、なんとも言い難い顔で私を見下ろした。呆れ顔、なのかしら。
「蜂蜜があると思うのか、ここに」
えっ? 渡された柔らかな実をエプロンに落としながら、弾かれたように顔をあげた。
「ないの?」
無言のままのラスティに、蜂蜜はないのだと教えられた。チーズに蜂蜜をかけて食べたかったのに。
「なぜないの? 切らしていて?」
「普通はない、あんな高価なもの」
「高価なの……」
初めて知った事実に、ぼんやりとラスティの言葉を繰り返していると、彼のため息が聞こえた。エプロンの中にもう一つ色の濃い無花果が落とされる。これ、ラスティの髪の色に似ている。
「蜂蜜はないが他の果物なら山ほどある、桃ではかわりにならないか」
桃。
「そうよね、ここにはたくさん果物があるのだもの、国王陛下の果樹園に負けないくらい」
「見たことがあるのか?」
「ないけど」
林檎に梨、オレンジ、桃。立ち上がって空いた手で服の裾についた草を払いながら、ぐるりと庭を見回した。季節外れのものも、そうでないものも、等しく実っている不思議な場所。
「ラスティ、あの、そうだわ、もうひとつお願いがあるのだけど」
「なんだ」
じろ、と愛想のない赤銅色の目が、無遠慮に私を見る。
「桃の皮むき、教えて」
言ってしまった。そわそわする。エプロンの裾をぎゅっと握って、炊事場の方をちらと見た。
「できないのか?」
「……ええ」
盛大なため息。
「これまでどうしていたんだ」
「そりゃ、召使いが剥いたのよ、もちろん」
「ここに来てからの話だ。たまにもいでいただろう」
「そんなことまで見ているの? ここにきてからは、あの、歯でむしって食べていたのよ、でも歯が欠けたらいやだもの――ほら、婚礼の時に花嫁の歯が欠けているなんて、あなただっていやでしょう?」
言って見上げると、ラスティが私を見下ろしていた。彼の目は私を映し、もの言いたげに揺れている。
「……な、なに?」
「いや、俺は別に花嫁の歯が欠けていようが、髪に葉をつけていようが」
ラスティの手が伸びてきて、私の耳のそばに触れる。くすぐったくて肩をすくめると、オリーブの小さな葉を摘まんだラスティの指が離れていった。
「気にはならん」
どき、と胸が鳴った。でも頬が染まったのは一瞬。すぐにラスティが鼻で笑ったから。
「桃の皮ひとつ剥けない花嫁はいらんがな」
「そっ、そう、働き者の花嫁が見つかるといいわね。私は侍女にでも召使いにでも剥かせるから」
「そうか、それはなによりだ」
ふい、と顔を背けたのに、ラスティは言葉を続ける。
「で、それでも俺はお前に教えなきゃならんのか? 皮の剥き方を」
そりゃ、覚えたいもの。
悔しかったけれど頷いた。でも。心の中でこっそり思う。
これで私は桃の剥ける花嫁になれる。
その思いはなぜか私の心を温め、幸福にした。
◇◇◇
本編も終盤に差し掛かっています、完結にむけ書いていきますので、あとしばらくお付き合いいただけたら嬉しいです