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『行き遅れた領主の娘の婚姻譚』おまけ


ご無沙汰しております。ストレスの多い日々の気晴らしに、行き遅れのちょっとしたおまけを書いてしまいました。婚礼の指輪を準備中のラスティのお話です。三人称難しい。でも楽しかった。また明日から頑張ります……。

―――

『婚姻間近の魔術師、王都で』


 夏の日差しが石畳の道に落ち、連なる商店が通りに濃い影を作っている。王都にあるその宝飾店は表通りから外れた裏通りにあって歴史が深く、通りに面して揺れる宝石を模した木製の看板は濡れたように艶やかだ。

「――店主はいるか」

 不運なことに、その男が小さな戸口から体を押し込むように店に入ってきたとき、店主は不在だった。店の奥の戸棚の前に、留守を預かっている見習いの青年がひとりいるだけ。青年は突然の訪問者に驚いて息をのむと、細い体を文字通り震わせた。
 それも仕方のないこと、入ってきた錆色の髪の男は尋常ではない量の魔力を持ち合わせていたのだ。青年は棚に背中を押しつけるように棒立ちで、ただ黙って首を横に振って店主の不在を男に伝えた。

「そうか」

 青年の返答を読み取ったにもかかわらず、男は店内に一歩足を踏み入れる。

「品物を見たい。心配するな、俺は強盗の類ではない」
「う、うちには魔石は、ありませんが」

 男の身につけている衣装が魔術師のものだと気が付いた青年が、消え入るような声で言った。

「構わん」
「か、かかか鍵はだんな様が持っておりますので、直接お品物をお見せできません」
「かまわん」

 男の意志が強いと知った青年の顔に絶望の色が浮かんだ。髪と同じ茶色の目から力が抜ける。どうやら自分がこのおそろしげな男の相手をせねばならないらしい、と気づいた顔だった。

「どういったものをお探しで……」
「蒼玉だ」
「お待ちください」

 青年が客に背を向け、棚の前であれこれと手を動かす間、魔術師の男は興味深そうな様子で店の中をぐるりと見渡していた。男が木製の壁に手を触れると、触れた部分が青く光る。

「この結界は随分古い術だな、そろそろかけ直した方がいいと思うが」
「お分かりになるんですか? ですが複雑な術らしく、なかなか頼める魔術師がいないとかで」

 話しながら振り返った青年は木の盆を持っていた。その上には、色の濃淡さまざまな小さな蒼玉が乗っている。盆の全体が、淡く光る魔力で薄く覆われていた。触れたものを切り裂く風の魔術だ。

「ここは王都だろう?」
「力のある魔術師はこんな小さな商店に関わってはくださいません……どうぞ。お手を触れないようお気をつけて」
「心得ている」

 青年はおそるおそる魔術師に近づくと、男の前の棚にその盆を置いた。と、男がじろりと赤銅色の目で青年を見下ろし、青年の頬がこわばった。

「これで全てか?」
「い、いえ」
「小さすぎる。もっと大きなものを」
「これより、ですか? ですけど……」

 蒼玉は高価だ。青年の疑わしげな視線を受けた魔術師は、面倒くさそうな表情でため息をついた。懐具合を探られたのに気が付いたようだ。確かに魔術師の男が身に纏っている衣服からは男が大金を持っているようには見えない。

「金ならある」

 話しながら男が袖口に手を入れると、青年は怯えた表情で後ずさった。男が不愉快そうに眉根を寄せ舌打ちをする。

「強盗の類ではないと言っただろうが。俺はシファードの雇われ魔術師だ、名はラスティ。疑うならあとで城の人間にでも聞いてみるがいい、赤毛の化け物じみた魔力の男を知っているか、と」

 流れるような説明は、男がこの言葉を言い慣れている証拠のように思えた。袖口から出された手には小さな布の包みが握られている。

「見ろ」
「……わぁ」

 男の手のひらの上で開かれた古い布の中を見た青年の口から、少年のような感嘆の声が漏れた。葡萄を模した繊細な細工を施された銀の髪飾り、それに大きな紅玉や翠玉がいくつか。金と銀の塊もある。

「待て、これは違う」

 そう言った男は、銀の髪飾りを取り上げた。それでも残ったものだけでかなりの額になるはずだ。目の前の魔術師が上客だと知った青年の頬が上気した。

「使えるのはこれだけだが、充分だろう」
「し、失礼を致しました」

 宝石を見て男への恐怖心が薄れた青年は、小さく膝を折るとすぐに盆を手にとり戻っていった。その背を魔術師がじっと見つめている。

「店主はいつ戻る」
「半時もすれば」
「この店の術をかけ直してやると言えば値引くと思うか?」
「え」

 青年は振り返る素振りを見せたが、こらえた。この魔術師に表情を見られまいと考えたのだ。

「どう、でしょう……」
「店の守りを一見の魔術師に任せる阿呆はいないか」
「そう、ですね……」

 もごもご答えると、魔術師はまたため息をついた。その時だ。店の扉が開いた。店主の帰宅かと喜んだ青年が振り返る。戸口には年の頃十と少し程の少年が立っていた。仕立てのいい服を身につけ帯剣している。耳の下あたりで切りそろえられた蜂蜜色の巻き毛に、水色の瞳。

「ラウルさま!」

 青年が少年の名を呼んだ。声には明らかな安堵の色が滲んでいる。ラウル、この少年は城の騎士の従者で、仕える騎士とともに、または使いでひとり、たびたび店を訪れていた顔馴染みであった。おまけにラウルは王都において、シファード領主の長男としても知られている。

「なにかご――」

 ご用ですか、と尋ねかけた言葉を、青年は途中で切った。ラウルが、まっすぐにあのおそろしげな魔術師の方へ進み出したからだ。強盗だとでも勘違いをしたのだろうかと不安になった青年が、指をかけていた引き出しから手を離した。

「その方はお客さ……」
「ラスティどの」
「なんだ」

 と、突如目の前で展開されはじめたやり取りに、青年は素早く口を閉じ気配を消し、蒼玉を選ぶ作業に戻った。魔術師は忌々しげに眉をひそめ、先ほどの宝石を包んだ包みを袖口に戻している。

「こちらにおられたのですか、店には共に行くと昨日申し上げましたのに」
「連れは必要ないと言った」
「私が一緒の方が話が早く伝わります。ほら、案の定まだ宝石のひとつも出てきていない」
「これから出てくるところをお前のせいで中断されたんだ。迷惑だ、帰ってくれ。領主の息子に横に立たれていては、値切りにくくてかなわん」

 魔術師が値段交渉をするつもりだと知った青年は、自身の扱える中では最高級の宝石に触れていた指先を離した。その横の少し色の薄いものを取り出し盆に置く。

「値切る?! 姉上に贈る指輪を飾る石を値切るおつもりですか?!」

 ラウルの驚きと怒りの混じる叫び声が狭い店内に響き渡った。すぐに青年が盆の上の石を引き出しに戻す堅い音が鳴る。ラウルが姉上と呼ぶのならそれはシファードの姫、イルメルサを指す。最高級のものでなくては失礼になる。

「声がでかい、静かにしろ! 入り用なんだよこれから。お前にはまだわからんだろうがな。おい、まだか」
「は、はいすぐに!」

 魔術師の苛立ちが、店に充満しつつある男の魔力の濃さで伝わってくる。不快感と恐怖で宝石を摘まむ青年の指先が震えはじめた。

「ラスティどの、魔力が強い。少し抑えてください」
「お前が苛立たせなければこうはならん」
「彼が宝石を落としてしまいます」

 ラウルの非難がましい指摘に魔術師は答えなかったが、部屋に満ちる魔力が少し薄らいだ。青年がほっと息を付く。

「まったく、小うるさいきょうだいだ」

 魔術師は悪態をついたというのに、ラウルは何故か口元に小さな笑みを浮かべた。

「そう言われると姉上にお会いしたくなります。随分お元気になられたようですね」
「ああ」

 ラウルは瞳を宝石のように輝かせ、隣の魔術師を見上げている。まっすぐな敬意を向けられ戸惑ったのか魔術師は、それを隠すように目を細めると、ラウルと少し距離を取った。男の視線が店の奥に向く。

「用意できたか」

 盆を手にした青年が、ふたりから少し離れたところに立っていた。話しかける機会を伺っていたがかなわずにいた青年は、魔術師に声をかけられほっとした表情を見せ力なく頷いた。

「は、はい。こちらに」
「うわあ、綺麗だ」
「ラウルさまお手を触れないでください!」
「あっと、そうだった」

 惹かれるように寄ってきたラウルが手を伸ばしたので、青年は盆を守るようにラウルから引き離し叫んだ。

「邪魔をするな、座っていろ」
「わかりましたよ」

 魔術師の言葉にラウルが素直に従うのを見届けてから、青年が口を開いた。

「ご用意できるものはこちらになります。だんな様がお帰りになられたらもっと高価な蒼玉をお見せできますが、大きく指輪には不釣り合いかと……」
「そうか」

 目の前の棚に乗せられた盆に顔を近づけ宝石を吟味する魔術師を、青年が黙って見つめる。その顔には戸惑いと疑問が浮かんでいた。なぜ、この平凡な身なりの男がシファードの姫に指輪を?

「……あの、うちの店はラウルさまに……?」
「そうだよ、私が推薦したんだ。欲しいのは石だけなのに表通りの高級店に行ったって、法外な金額を払わされるだけ、そうだろう?」

 魔術師に問いかけたが、答えたのは椅子に腰掛けたラウルだった。今の言葉は、この店の店主がたびたびラウルの仕える騎士に伝えている言葉だ。青年の口元に寛いだ笑みが浮かぶ。

「はい、その通りです」
「店主が戻るまでは手に取れないのだったな」
「え、あ、はい、そうです。お迷いですか?」

 長くこの店で働く青年の目には、選ぶ石はひとつしかないように見えた。一番色の濃いものだ。盆を覗く魔術師の横に立った青年が尋ねると、男は最高級の石と、それよりいくらか色の劣る石のふたつを順に指差した。

「このふたつ。それぞれいくらだ」
「こちらなら先ほどお見せいただいた翠玉ひとつで。こちらなら、翠玉と……あと金貨を二枚ほどいただくことになりますでしょうか」

 青年が話し終わると、魔術師が長いながい息をひとつ吐いた。重なるようにラウルのひそめた笑い声が店に響く。

「婚姻とはこんなに金のかかるものなのか。勉強になりますラスティどの」
「っこ、こここ婚姻?!」

 素っ頓狂な声が店に響いた。慌てて両手で口元を押さえた青年を、魔術師が睨む。緊張した空気を緩めたのはまたしてもラウルの笑い声だった。ハハハ、と少年らしい明るく幼い声。

「驚いたかい? そうなんだ。この魔術師がね、姉上を私たちから奪っていこうというんだ」
「そうでございましたか、それは、よ、喜ばしいことで。お祝いを申し上げます」
「ありがとう。姉上がお喜びだというのがなにより嬉しいよ。君はもちろん、世に蔓延る姉上の噂話なんて信じちゃいないだろうけれど。だよね?」

 口元に笑みを浮かべたまま、水色の瞳でまっすぐに青年を見るラウルの仕草は、領主である父親によく似ていた。青年は我知らず背筋を伸ばし、大きく一度頷いた。

「は、はいそれはもうもちろん、ラウルさまからお話を伺っておりますので」
「――どんな話だ?」
「はいっ?」

 気が付けば、魔術師が腕組みをして棚に背を預け、青年を見下ろしている。

「店主が戻るまで聞かせてもらおう」

 静かな低い声からは、それまで見せていた不機嫌さが消えていた。赤銅色の目の鋭さもいくらか和らいでいる。

「は、あの……お優しく穏やかな方で、城の部屋で花冠を編まれたり刺繍をなさっておられるとか」
「ほう、他には?」
「お転婆な下の姫君を大人しくさせることに長けておられるとか、ごくたまに夜小さく聞こえてくる歌声はとても美しいですとか……そういった話をラウルさまから伺っております」

 話しながら、青年は居心地が悪そうに身じろぎをしながら何度も入り口の扉に視線を向けていた。店主が早く戻らないかと願っているのがよくわかる。

「歌。本当か?」
「ええ、ごくたまにですが」

 腕組みも解かず、顔だけラウルの方に向け尋ねた魔術師は、返ってきた答えに目を細め小さく笑んだ。

「そうか」

 穏やかな魔術師の顔に青年が驚いた視線を向けた瞬間だった。扉が開き、恰幅のよい中年の男が店に入ってきた。

「これはラウルさま」

 ラウルにむけ微笑んだ店主は、強い魔力を滲ませる魔術師を見てぎくりと体を強ばらせた。

「こちらは……?」
「だんな様!」

 店主と対照的に、安堵した青年の声が店に響く。

「お客さまです、シファードの魔術師ラスティさま。ラウルさまの……」
「おお、まさか、イルメルサさまのご婚約者さまでは?」
「ご存知だったんで?」

 どこか恨めしげな青年の声に、店主が破顔した。

「その話をその辻で聞かされていたのだ。シファードのゲインさまが魔術師を伴ってご滞在中だと」
「さすが商人は耳が早い。そうは思いませんかラスティどの」

 わ、と明るい火がともったように盛り上がる店の中で、当の魔術師はむっつりと黙り込んで立っていた。その口が開く。

「――店主。石を見たくて待っていた。見せてくれ」
「は、ええ、ええそれはもう! 勿論でございます! そちらでございますか」

 腰に下げた鍵を取り上げた店主は、男の魔力への怯えなど忘れたかのようにすぐに近寄ってきた。棚の上にある風の魔力で守られた盆の上にそれを差し込んむと、盆を覆っていた魔力が消えた。

「蒼玉をお探しで?」
「ああ。手に取りたい。これと、それだ」
「お取りいたしましょう。あの、ラスティさま、不躾かとは思いますがお聞きしたいことが。この石は……」
「婚姻の指輪に使いたい」
「おおやはり! お祝いを申し上げます。ではこちらしかございませんな!」

 店主はもみ手をしそうな勢いで、最も質の良い蒼玉を取り上げ魔術師の手の上に乗せると、短い呪文を口にして光の玉を天井近くに浮かべた。日の光のように明るい。

「ご覧ください」

 魔術師は石を摘まむと光に当て、それからまた手の上で転がし、しばらく観察したあと、もう一つの候補の石と取り替え同じようにした。

「決まりましたか?」

 ラウルが横に立ち魔術師に尋ねると、男は何度か小さく頷いて、色の濃い方の蒼玉を指で示した。

「店主の言うとおりだ、これしかない。この質の高さならば俺の魔力にも問題なく馴染むだろう、これをくれ」
「ありがとうございます!」

 店主はいそいそと盆を持ち上げると、宙に浮かべた光を消して店の奥へ体を揺らし歩いていった。それを目で追っていたラウルが、店主が離れたのを見計らって魔術師に体を寄せささやいた。

「決まったのですね? では急いで城に戻りましょう。そろそろ父上が国王陛下との謁見を終えられる頃です」
「お前は先に戻っていろ。俺は店主に話があるからな」

 魔術師の言葉にラウルの顔から笑みが消える。

「ラスティどの、申し上げましたよね。姉上へ贈る、それも婚姻の指輪の代金を……」
「俺の金の使い方に口出しをしないでもらおうか。それにそもそもイルメルサは気にしないだろうよ。ものの値段など気にかけたこともない箱入りだからな」

 魔術師がきっぱりと言い切る声が店に響くと、近くに控えていた青年店員がぐふ、と妙な声をあげた。魔術師とラウルの視線が青年に向く。

「あっと、埃が……」

 非難の視線を受けた青年は視線を泳がせもごもご口の中でなにかを呟きながら、棚の上を手のひらで払った。

「ラスティさま、ラウルさま、さあどうぞこちらへ。おいお前、お茶をお出ししていないじゃないか、すぐに注文しておいで」
「は、はい!」

 店主の命を受け、今度は青年が店を飛び出していった。扉の開いた一瞬、日の光を受けた向いの建物の壁がきらりと輝いた。

「やった、お茶だ。今日は暑くて喉が渇いてたんですよ嬉しいな」
「店主、金の話をしたい」

 ラウルが青年を見送る横で、魔術師がすぐに本題に入った。仕切りを兼ねた細長い台の向こうで石を磨いていた店主の手が止まる。

「これを」

 そこで言葉を切って袖口から小さな包みを取り出した魔術師は、隣の少年に牽制するような強い視線を向けてから再び話しはじめた。

「翠玉を見てくれ」

 魔術師が台に乗せた包みを開くと、店主が待ちきれないといった様子で身を乗り出した。

「ほうこれは美しい。手にとっても構いませんかな」
「ああ」
「では失礼」

 店主は再び光の玉を浮かべると、慣れた手つきで宝石をつまみ上げ、光に透かした。

「ふむ、なかなかよいものです」
「そうだろう、もともとバルバロスの指輪についていた石だからな」
「なんと……」

 バルバロスの名に、店主はあからさまに動揺したが、すぐに持ち直すと口角を持ち上げ笑んでみせた。

「そ、それはよい話題になりますな」
「ああ。その紅玉と金もそうだ。貴族連中は血なまぐさい逸話が好きだろう、高く売れるぞ」
「確かに……」

 店主が魅入られたように布の上の宝石を見つめる。

「その翠玉ひとつでどうだ」
「は……! ご冗談を。よいものではございますが、この蒼玉には質で劣ります。金貨五枚か、紅玉をお付けいただければお譲りできなくもない」

 顔を上げた店主の頬は紅潮していた。怒りではなく、この場を楽しんでいる、そういう人間の顔をしている。

「大きくでたな店主、だが翠玉以上は払えない。紅玉が欲しいなら買い取ってくれ。金貨八枚だ。俺がこれをバルバロスの指から外させた時の話を聞かせてやってもいい」

 ……魔術師と店主のやり取りは、青年がお茶売りを連れ戻ってきてからも一時近く続いた。

 ◇◇◇

 王城に続く登り坂に、大小ふたつの影が並び揺れている。

「まさか本当に翠玉ひとつと店の守護の魔術の掛け替えだけであの宝石を手に入れてしまうとは思いませんでした」

 興奮気味に話すラウルの横で、魔術師はどこか疲れた顔をしていた。

「おまけに金塊と紅玉もあんなに高く売ってしまうんだから凄いなあ」
「……あれらの逸話もつけてやったんだ、あの店主ならばうまく儲けるだろうよ」
「私もあんな風にやり合えるようになりたいです、是非教えてください」

 無邪気に笑うラウルに、ラスティが呆れ顔を向けた。

「俺のは必要あって磨かれた技だ。お前たちはこれまで通り呑気に買い物を楽しめばいい」
「お前たちって誰のことです?」
「お前たちきょうだいだよ」

 言ってふん、と鼻を鳴らしたラスティに、今度はラウルが呆れた様子を見せる。

「わかってるのかな。あなたももうじき、そのきょうだいの仲間入りです、ラスティどの」
「……遠慮する。それよりその“ラスティどの”をやめてくれ。領主の息子にそんな呼ばれ方をされてはおさまりが悪くて落ち着かん」
「ではどう呼べば?」
「ラスティ、と」

 男がぼそりと言った。隣の少年を見ていると、彼の胸に浮かぶ顔があった。遠くに残してきた婚約者の小さな顔。袖口に忍ばせた包みの中は軽くなったはずなのに、男には不思議とより重さを増したように感じられる。喜ぶだろうか。誰にも知られぬ心の内で呟いた。

「ただそう呼んでくれればいい」


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