『秘密を~』小話です。元のが見あたらなくてあちこちひっくり返して探してました。へんなとこにあった。なんでだろう。読み直しついでにちょっと書き足しました。カクヨムバージョンになります。
鞄の本編のはじまりより更に何年か前の、どこかとても遠い場所で、こんなことがあったかもしれない。そんな小さなお話です。
『神の御国にて』
―――
「いやよ、こっちの人がいい」
「認められないね、彼だ」
白い雲の床。そこに小さな切れ目を作り、頭を差し込んで言い合いをしている霊が二体いる。首根っこをつかんで顔を上げさせるまでもない、また彼らに決まっている。
「キャース、デェェイニー」
彼らの背後で立ち止まり、腕を組んで低い声を出すと、二体の霊は揃ってぎくりと背中を強ばらせた。
「僕が彼女を誘ったんだ、叱らないでやってくれ」
最初に振り返ったのはデイニー。幼さの残る顔立ちだったが、茶色の目と口元に意志の強さが現れている。
「違います天使さま、誘ったのは私です! だって心配だったのだもの、その、あの子が」
続けてキャスも振り返り、おずおずと話しはじめた。細い指を胸の前で絡ませて、祈るような仕草をして。まったく、そうされると私が弱いことを彼女はとっくに知っているのだ。
「ああ、そうかい。だけどあれだね、今見ていたのは君たちの可愛い“天使”ではなかったようだけれど?」
ちら、と見下ろした地上の景色には私も何度か見かけた女の子の姿は映っていなかった。
「はい、あの、ええと」
「娘も年頃になってきたのでその、少しだけ覗いてみたんです、娘の……運命を」
やっぱり。地上に子供を残した霊がやることなんて限られている。覗いたところでできることなど、ほとんどなにもないのに。それにこの霊たちの娘の運命は……以前キャスの使った言葉を借りれば確か、「こんがらがって」いたのではなかったか?「なにもわからないんです」涙目で彼女が訴えてきてからまだそう時間はたっていないはずだ。そう、地上の時で五年か十年か……ほんの瞬きほどの間しか。
「少しはほぐれてきてたってことかな?」
「はい! そう、そうなんです。二人見えて、強い繋がりのひとが。でもやっぱり複雑で、はっきりどちらかはわからなかったので」
「どっちの男が娘を幸せにできるか、話し合っていたんだ」
「ふむ。で、意見は分かれたんだね? 先ほどのやりとりからみると」
そう言うと、二人は気まずそうな顔をして押し黙った。話しすぎた、と思っている顔だ。
「私にも見せてくれるかい?」
翼ひと羽ばたきぶんほど近づきながら尋ねると、二人は一度顔を見合わせてからまたこちらを見、頷いて私に床の穴を見せてくれた。これはまた雑に掘ったものだ。まあいい、
彼らの子と響き合う魂は……。
「ああ、確かにふたつあるね」
「でしょう?」
とは言ったが、私の目には明らかだ。片方がより強く輝いている。彼らにはわからないのだな。なんと幼くかわいらしい存在だろう。
「ふふ」
いけない、つい笑ってしまった。
すぐ、ぐい、と後ろに引かれる。
「デイニー、そこには触れないでくれ」
デイニーが私の翼を掴んでいる。痛くはないが不快感がぞわぞわと肌を伝い、眉間に皺が寄りそうになる。翼を軽く開くが彼は離さない。さきほどと同じ厳しい目で私を見上げている。
「なぜ笑う?」
「いや、すまない。大丈夫、どちらでも君たちの子を幸福にできる」
地上での平穏を彼らは幸福と呼ぶ。それなら間違いなく彼らの子は、人が幸福と呼ぶものをいずれ手にするだろう。
「どっちでも? 天使さま、ほんとうですか?」
「そうだよ。だからキャス、心配しなくていい。さあ、皆のところに戻りなさい」
「画家と貴族じゃ手にしているものは雲泥の差だ。同じなんて信用ならないな」
「私が、嘘をつくと?」
ゆっくりそう言うと、デイニーはようやく翼を放してくれた。納得してくれたようだ。まあ、私とて嘘をつくことはあるんだがね。都合の悪い言葉は音にするのはやめた。
「でもそうね、天使さまに言われれば、ええ、どちらもあの子を幸福にする力を持っていそう」
「そうかな、あんな貧乏画家に僕たちの天使を救い出せるか?」
「彼には生きる力がありそうだもの。それに、ちょっぴりあなたに似てるの。それだったらあの貴族の彼なんて、優しそうだけれど、お財布をなくしただけでなんにもできなくなりそうよ。ほら、見て! あーんなことまで人にやらせて!」
「彼のおかげであの子供は銅貨を手に入れられたじゃないか。あの男は健康そうだし、風邪を引いてもすぐ治りそうだ。食べているものがいいんだろうな」
また、穴に頭を差し込んで話しはじめた。
「君たちがそれぞれ、どちらに肩入れしているかわかったよ。でもそろそろ、ほんとうに、やめて、戻りなさい」
腰に手をあて、大きなため息をつく。
まったく、人間とは、すぐに忘れるのだ。ここに彼らが帰ってきたときの姿を思い出す。ふたりともそれぞれ涙を流し、愛するものを残してきてしまったと嘆いていた。だが、どちらも言っていたではないか?
『しあわせだった』
――と。
完全な平穏だけが幸福なのではないと、彼らこそが知っているはずなのだがね。
「キャース、デェェイニー」
人間の心とはなんと罪深く愛すべきものだろう。残してきた者たちへ向ける愛。私には、下の世界の終わりが来ても知り得ない感情だ。
―――
「かわいいわ、あなたに似てる」
「ふん、グレイスリーの血が勝ったな、グレイスリーの髪色だ」
白い雲の床。そこに小さな切れ目を作り、頭を差し込んで言い合いをしている霊が二体いる。見慣れた景色だ。首根っこをつかんで顔を上げさせるまでもない、また彼らに決まっているのだから。
「キャース、デイニーー」
彼らの背後で立ち止まり、腕を組んで低い声を出すと、二体の霊は揃ってぎくりと背中を強ばらせた。
「僕が彼女を誘ったんだ、叱らないでやってくれ」
「たまには別の言い訳も使って欲しいな、もう聞き飽きた」
顔を上げ振り返ったデイニーに言うと、彼は片頬を持ち上げる不敵な笑みを浮かべて見せてきた。神の国にはいささか不似合いな表情だが、まあいい。
「天使さまごめんなさい、だって、だって私たちの子が親になったんですもの、覗かずにはいられません!」
まだ雲に顔を入れたままのキャスの声だけが響いてきた。
「あくびをしたわ!」
「あっ、キャス、君ばかり狡いぞ」
珍しく、人の子らしい感情の露わな表情を浮かべたデイニーが、また顔を雲間の穴に差し込んだ。やれやれ、神よ。私に目をつむる以外の選択肢があるというならお教えください。
「特別ですよ」
「ありがとうございます!」
重なり発された二人の感謝の声に嘘はなく、美しく胸の中に響いた。なんと心地いい音だろう。
目を凝らし私も地上を盗み見る。成長した二人の娘が生まれたばかりの赤ん坊を抱いていた。髪色はデイニーと同じ栗色。顔立ちも似ている。
「美男子になるわ」
「当然だな」
命は全て等しく美しいのに不思議なことを気にするものだ。だが、魂の光は特別強い。なにごとかを成し遂げる力を秘めているのは間違い無さそうだが……キャスの控えめな笑みを思い出し伝えるのはやめた。心配して穴のそばから動かなくなりそうだ。
「イベイラ……あの子も元気そう」
「そうだな。君があの子を産んだときと同じだ、あっという間に母親の顔になってしまった」
「そうだった?」
「そうだよ。僕の帰りが遅いと怒ったときの迫力ときたら――気をつけろ、お前もそのうち怒鳴られるぞ」
聞こえるはずもないのに、母子の傍らに立つ穏やかな空気を纏った男に語りかけるデイニーの姿に、私の唇も思わず笑んだ。
こんなに浮かれる彼は初めてだ。
「あら、彼は毎日馬を駆けさせては急いで帰って来ているじゃない。イベイラへのお土産を欠かさず持って。今日はなにかしら」
「君はすっかり彼に肩入れしてるな。最初にあの男を認めたのは僕だ、忘れないでくれよ」
「わかってるわ。今でも彼はちょっぴり頼りないなって思ってるのよ、私。でももう心配はしてないの。あの人の周りにはたくさん人がいるんだもの」
「それを言ってたんだ、僕は」
「そうは言ってなかったわよ」
私の存在をすっかり忘れたらしいふたりの軽口を聞きながら、母親に変わって赤ん坊を抱いている男に意識を向けた。
腕の中の赤ん坊よりは柔らかな、でも暖かな光を胸に抱いている。強い輝きではなく温もりだ。あの光のそばにいるのだ、彼らの子はもう凍えることはないだろう。
「眠っちゃったわね」
「そうだな」
雲に埋もれるふたりの背をみやり、ふうと息を吐いた。
「さあ、きりがないのはわかるだろう? そろそろ顔を上げ穴を修復しておきなさい」
そう言いながら、なぜだろう、この丸い背中をもうしばらく眺めていたい気もするのだ。
―――
以上です。
せっかくなので近況でもと思ったのですが、書くべきことがなにも思いつかないまま無為な二十分が過ぎてしまった。嘘でできた物語ならいくらでも書けるというのに。
諦めます……。それでは、また。