アテクシです。前回は失礼しました。
「本当だよ、びっくりしたよ」
派遣のオジサンの解釈をダメにしてしまって、喜ばしい、いえ、申し訳ないの極みですわ。
「ったくよ~。小憎らしいの極みだな。
とはいえ、あんなもんじゃ俺の解釈は揺らぎもしないよ」
またまた~、悔しくてしょうがないくせに。
「『玩具のような振る舞いで』が高樹さんの作詞作曲であるとか、一致する部分が曲の途中であるとか反論はできるけれど、そーゆーこまけぇことはどうでもいいんだ。
結局、俺の解釈は俺個人のためだけのものだから、誰がどう受け取ろうと、何を指摘されようと、俺が納得できれば問題ないんだ」
そんな個人的なものなら、こんなとこで公開しなければ良いじゃないですか。
「ここ、ちょっとした考えを文章にして記録しておくのに結構便利なんだよ。
あっとゆう間に埋もれて他人から見えなくなるのも好都合。
それでも万一、誰かに見られたらという緊張感があるから、最低限、読める文章にはせねばならない、という縛りがあるのも嬉しいし」
ヘタな漫画も貼れますし。
けど、実際に読んでくれてるのが知り合い+αというのが悲しいですね。
「いやー現状では知らない人からのご意見ご指摘は遠慮したいね。
いつかコメント欄を開放する日が来るかもしれないけれど、当分は怖くてムリ。
繰り返すけど、俺の解釈は俺個人のためだけのもの、だから自分の浅い経験だけで解釈するけど、そのプロセスはなるべく平易に説明するので、読む方のご参考にしていただいて、是非、独自の解釈を展開してください。
キリンジの曲は聞く人の数と同じかそれ以上の解釈が可能なんだと俺は思うよ」
また盛大に予防線を張りましたね。
「その意味で、今回は身内の不幸を経験したからこその解釈になるよ」
『茜色したあの空は』
高樹お兄さんの作詞作曲ですね。
「まずはこの短歌から、
【両親《おや》送り 妻先に逝き 子の急ぐ 茜の雲は美しきかな
土橋秀高】
土橋秀高師は僧で住職であったが龍谷大で教鞭も取っておられた。
ご両親の後、奥様も病気で亡くされたが、東海大助教授のご子息が自死され、しばらくしてその嫁と二人の孫が出奔して天涯孤独となられた。
夕焼けの茜色は西方浄土の光であり、雲は仏教では罪障・煩悩を表す。
お浄土の光は罪障の雲さえも貫き、美しく映えさせている、という情景だ。
この句における土橋師の心境については他の解釈に任せるけど、最近、肉親を亡くした経験を持つ自分が『茜色したあの空は』を聞いて思い出したのがこの句だ。
要するに、俺にとってこの曲は葬儀の唄なんだ、カントリー調の」
にぎやかな葬儀です。
「日本の法律では通常、人が死ぬとその遺体は火葬せねばならない。
葬儀社は人の死後から火葬の前までを司る。
仕事は、病院、施設、自宅などへご遺体のお迎えに向かうことから始まるが、同時に一番重要な火葬場の予約も行う。
現在は、火葬場は公営も民営も予約がいっぱいで、特に大都市では1週間~2週間待ちはざらだ。
葬儀と火葬は同じ日に行うことが普通なので、それまで遺体を保持しておかなければならない。
大体1日にドライアイス10~20㎏を使う。
遺体は自宅あるいは葬儀社に安置されるが、葬儀まで長くかかる場合は、費用と手間の点から葬儀社の遺体安置室に預けることが多い」
ここまでが背景、以下解釈ですね。
「葬儀社の社員である”僕”は毎日を忙しく働いている。
葬儀・告別式に参列する肉親・親戚・友人知人など、毎日入れ替わりでやって来る。
馴染み客などいるはずがない。知らない奴らばかり。
しかし何故か皆、空を見上げる。
昼でも夕方でも、降っていても晴れていても。
ビルに囲まれた狭い空を探しては見上げるのだ」
確かに、お葬式が終わって外に出ると、ふと上を見ちゃいますよね。
なんなんですかね、あれ。
「故人は下へ行ったかもしれないのにねー」
酷い。
「まぁ、そんな日本人の変な習性に高樹お兄さんは気付いてたみたいだね。
さて、”僕”の仕事では、参列者たちが心地良く悲しみに浸り、無事に最後のお別れができるように配慮することが求められる」
”最期のお別れ”ではないですか?
「”最期のお別れ”は火葬場で焼かれる直前のご対面のことみたいだ。
火葬場まで行かない参列者なら告別式で”最後のお別れ”になるだろう。
まぁ、最近は”最期”でも”最後”でもあまり区別しないようだけど」
”僕”の仕事上の配慮とは?
「これが怖いんだけど、1週間以上も遺体を冷蔵していると、どうしても顔の筋肉とかが弛緩して垂れ下がってくる。
葬儀・告別式で人相が変わっちゃってるとまずいので、綿を口に入れて補整する。
これを面会客の居ない夜中にやる。
それと、ドライアイス漬けで冷えた遺体には霜が着いたりして、溶けた水が目のくぼみに溜まったり頬に流れたりして泣いてるように見えるので、これも夜の内に拭き取っておく。
怖いといえば、夜中に遺体安置室で作業していると、たまにギターやピアノの音が聞こえてくる。
故人が寂しかろうと、遺族が棺桶に愛用の楽器の写真とかを入れたりするんで、そのせいらしいんだけど、そんな時は片っ端からいろんな神仏に祈る。
ご遺体の宗旨宗派なんか、とっさにはわからないからね。
ところで遺体安置室はその目的から室温をかなり下げてあるので、こんな作業を長時間していると手がかじかんでくる。
そういう時は、祭壇に一晩中灯されている大きなろうそくの炎で暖を取って作業を続ける。
また、遺体の匂いを常にチェックして、腐敗の進行具合を確認するのも重要だ。
それも今の匂いだけじゃなく、明日以降の葬儀の際の匂いを予想して、拙いようなら、ドライアイスの量を増やす、消臭スプレーを散布する、お香をたくさん焚いて匂いをごまかすなど、早めに対処しなければならない。
こういう細やかな心配りが参列者にとっての心安らかな葬儀を支えているのだ、
という内容かな」
無理やり感もありますけど、それなりに解釈できるもんですね。
「ラストコンサートのアンコール曲のひとつがこの曲だったのも、キリンジという兄弟バンドへの弔いの意味があったんじゃないかと思う。
『もしもの時は』とメドレーにしたのもすごいけど」
アウトロの最後でお兄さんがなにか呟いていますけど、あれは?
「Burst Punk?のようにも聞こえるけど、よくわかりません。
知ってる人、教えてください。
まぁ、自分のためだけの解釈、というのはこんな感じということで」
いつも思うんですけど、オジサンの解釈って、美しい詩を下世話な事柄に貶めてるだけでは?
オジサンの解釈を聞いた後は、以前のように素直に曲を楽しめないのですが。
「形而上を形而下に引きずり下ろすのが解釈って行為では?えっ、俺だけ?
他の人たちは形而上そのままで解釈してるのか、すごいな。
俺も別に、美しいものを貶めることで快感を得ようとしているわけじゃなくて、あくまで作者が聴衆に託した謎を解きたい、という気持ちでのことなんだが。
それと、文芸評論では、考察は作者の隠れた意図を見出すこと、批評は作者も思い至らなかった意味を見出すこと、らしいんだけど、
作者の思い至らなかったような解釈がなされることを、作者が意図していたとしたら?
そう思えるフシがキリンジの曲には感じられることが多いんだ。
単なる批評を超えた、想像力、空想力、妄想力を刺激する詩と曲。
そこから自由になんでも作り出してみて、と言われてる気がする。
俺の下世話な解釈もヘタな漫画もそれで作ったものなんよ」
だからと言って、何でもかんでも夢の無い話ばかりじゃネー。
ではまた。
アテクシ
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