昨夜は幻の高級魚クエを腹一杯食べた。クエ鍋である。冬の鍋の最高峰。河豚もいいけどね。高級食材は外れない。旬なこの時節、鍋料理が本当に美味しい。
お酒もそうだけど味わうには訓練というか練習が必要だけど、基本というか原則というかやはり場数を踏まないといけないというか。既存の知を知ってその上に創造が新たに進む。だから学べ真なる鍋..真鍋かよ。
習うというより慣れろだけど。指南役というか先生というか先輩知人が必要だけど。だから学べ、真鍋。
以前に美食を嗜む粋人と話した。「そんなに美味しいものばかり食べていると、晩年、魯山人のように「つまらん、つまらん」ということになりませんか?」
人間死ぬまで進歩が必要、常に美味しく味わいたい。しかし嘗ての名声も実力も色褪せていく。昔はあんなに美味しかったあの名店が..今はどーなってしまったのか。なんてコッタァ。
たまにまずい料理を食べて悔しがるのも一興。別にわざわざ積極的に食べるわけではないけれど。偶然の妙、もののあわれを感じるのさ。
知ってしまったが故の悲しみ..。慈悲の「悲」とは先駆先覚者の孤独の意があるという。慈しむけど悲しい..。愛とは違う概念だよね。
感動の当体は味覚の味覚人、飛行物体..。味わってこそのライフ..。