以前、カクヨムで作家仲間の花野井さんから『夢十夜』(夏目漱石)を勧められました。
詩的でメッセージ性の強い作品をお描きになる花野井さんが、絶対に読んだほうがいいと言うものだから、「どれどれ」と本屋で買って読みました。
夢十夜は短編小説ですが、詩集みたく「第一夜」から「第十夜」と十話のエピソードがあります。以下、正直な感想です。
(未読の方はお気を付けください)
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シュルレアリスムのように幻想性と知的さを備え持っており、解釈の幅が非常に広い作品だと思った。想像力を駆りたて、そこには確かな筆力がある。流石は文豪夏目漱石。
はじめは鉄道のように読者の行き先を迷わせないが、途中から線路は消えて、僕は心許なくなってしまった――最後はご想像にお任せする、という小説である。最終的に、行き先を決めるのは読者だ。正解など存在しない世界を、漱石は『夢十夜』で書いた。いや、もともと漱石はその手の小説が得意なのかもしれない。僕はそれほど漱石に詳しくないが、彼の『それから』と『夢十夜』はいくらか似ている。
正解のない現実、と聞けば「そんな小説はありふれている」という人もいるだろう。だが、『夢十夜』は美的な葛藤に満ちている。美的な葛藤は、読者あるいは登場人物を指している。そして僕は、物語に惹かれてページを捲った。
第一夜、第六夜、第七夜、第八夜は特に気に入った。
表現方法が美的な葛藤は、物語の冒頭「第一夜」からありありと感じられる。仰向きに寝た女の「もう死にます」という声があり、つぎには女が鮮やかな生に満ちていることを描写している。読者が訪れる死を見抜くこともできないほど、鮮やかな生である。しかし、そこにはおおよそ活気と呼べるものがない。ただ美しく息をしているだけで、もうじき女の身体は冷たくなるのだ。
第八夜も好い。床屋での描写が真似できないほど上手い。現代人が当時の日本をのぞき見ているようで、粟餅屋の声が聞こえてくるくだりは生活感もある。それでいて、やはり白昼夢のように幻想的に相違ないのだから、漱石の才能を妬ましいと思うよりさきに、驚嘆の声を上げてしまった。