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筑前筑後通信(207)歴時部作品を読む①「砂糖はいかが。」の巻

WEB歴史時代小説倶楽部の作品を読む企画
【ひとり企画 :WEB歴史時代小説倶楽部を読もう!】

第一回は、赤坂パトリシアさんの「砂糖はいかが。」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054882793087

<あらすじ>

「女の子はお砂糖で出来ている。それなら、お砂糖は何でできている?」

18世紀末、マデラインは仲の良い4人の友人をお茶に招き、砂糖を何匙入れるか尋ねる。
イギリス史上おそらく最初の近代的な不買運動を背景に女性たちの思考が錯綜します。



<感想>

◆マデラインと四人の目~最大多数の最大幸福と、どう向き合うのか?


まず文章を読んで、僕は芳醇な海外小説の香りを覚えた。

著者の読書経歴やパーソナルな部分は把握していないが、物語同様に英文学などに深い知見と親しみがあるのだろう。
なぜならば、洗練された様式美をそこに感じたからだ。
まるで、上流階級者の子女が仕込まれるマナーのような。それは、ある種の高潔さすら受け取れる。

言うなれば、歴史小説という大衆文芸の中の純文学ではないだろうか。

こうしたものを書ける著者に、僕は羨望を覚える。
今の、僕には書けない。僕の文章が荒々しいマルセイユの悪童だとすれば、著者の文章は絢爛豪華なベルサイユで注目を浴びながら、謀略渦巻く中でも生き残る腹芸が出来る女性。
つまり、それぐらい凄いのです(笑)

さて――。

物語はマデラインと四人の目で進む。
小劇場で演じられる、ワンシチュエーション・ドラマを想像する判りやすいと思う。
そして、序盤は女性グループの人間関係、それが次第に屈折を帯びたものになっていき、最後は政治問題に絡む。

ここで語られる事は、「最大多数の最大幸福と、どう向き合うのか?」にも通じると思う。
誰かが豊かに暮す為には、誰かを犠牲にしなければばらない世の中であり、それは今も昔も変わりはない。
そうした中で、社会システムを変革しない限り、我々はせいぜい搾取される「だけ」の側にならないよう頑張るしかない。
そこが、グウェンドレンとマデラインの考えの違いであり、友情を壊す要因になったのだろう。

そして、あと一つ。
この物語は大きな教訓を示した。

「政治思想が絡むと、人間関係は破綻する」


ん。

だから、職場や飲みの席で政治ネタ(宗教含む)は御法度なのだ。
気を付けようね、新成人諸君!グウェンドレンとマデラインにならぬように。

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